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秩父はかつて伊勢崎・足利などと並ぶ銘仙の産地でした。銘仙は夜具などに使われてきましたが、大正・昭和前半期には実用呉服としても需要が多く、秩父でも養蚕が盛んでした。 しかし、時勢におされ、現在、秩父で養蚕を生業としている農家は2軒だけになったということです。 |
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今回は、今では珍しくなった養蚕専業農家を3人の先生がたとともに訪問させていただきました。 養蚕農家の高齢化がすすむなかで、この家は、先代からの養蚕を引き継がれた壮年のご当主でした。 案内された先には、蚕飼い専用の長い長い建物が2棟。そのほかに「上蔟(じょうぞく)」のための建物、桑の枝の貯蔵室など、まず、その広さに驚きました。 飼われている蚕の数、1回に約40万匹。出荷する繭の量、約400〜500kg。 この家では現在、年に5回蚕を飼うということでした。 春(蚕)夏(蚕)秋(蚕)晩秋(蚕)晩々秋(蚕)と呼ばれ、暖冬の年には6回目に「初冬(蚕)」を飼うこともあるそうです。 訪問した時は、「春蚕(はるご)」が4回目の脱皮を終え、あとは上蔟を待つのみの、十分に成長した状態でした。 |
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蚕は種紙から掃き立てられた毛蚕(けご)が、1週間のサイクルで脱皮をくり返します。4回の脱皮ののち、5回目には上蔟をしはじめます。この上蔟の前後の最も忙しい時期を「蚕ざかり」と言います。この時期、蚕の食欲も旺盛で、訪問した時も「時雨」のような音を立てながらさかんに桑の葉を食べていました。 ところで「蚕の顔」をご存じでしょうか。 「馬づら」とか「新幹線のような顔」とか言われていますが、一般に「眼」だと思われている黒い部分(写真参照)は、単なる模様なのだそうです。蚕の本当の顔は先端部分に小さくまとまってあるのだということです。 |
![]() 「馬づら」?「新幹線づら」? |
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やがて「桑くれ(蚕に桑をくれる→与える、こと)」の時刻になり、ご当主のお母様が蚕の上に桑の小枝を手際よく置いていかれました。 養蚕が副業の農家では、桑の葉だけをつみ取って蚕に与えますが、この家では(40万匹も飼っていると)「それでは間に合わない」ということで、桑を小枝ごと切り出して蚕に与えるのだそうです。大量の蚕を飼うために、この家では山一つをまるごと桑畑にしているそうです。 蚕が葉を食べ尽くしたあとの大量の小枝は、「晩秋」「晩々秋」の蚕飼いの折の暖房用の薪にされます。最後に残る「灰」は、肥料として桑畑に撒かれ、みごとな循環をくり返していきます。 |
![]() 「桑くれ」。八十歳近い とは思えぬ手際のよさ。 |
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あとひとつ、どうしても気になったのが大量の「糞(ふん)」です。 「葉緑素」入りのガムは、もちろん誰でも知っていますが、以前は、その葉緑素の原料として製菓会社が大量に買い付けていたそうです。蚕は桑の葉しか食べていませんので、純粋な葉緑素が抽出できるのです。ただ現在は残念ながらその需要は無くなったそうです。多分、葉緑素を抽出するコストが高いのでしょう。 いまひとつは「鶯の糞」と同じ成分ですので、化粧品会社からの買い付けがあったそうです。しかし、これも現在は需要が減り「自然化粧品」の会社が買い付けるのみということです。 現在、糞の大半は、やはり肥料として桑畑に戻すということでした。 |
![]() 新しい葉だ、のぼれ、のぼれ |
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最後に、ご当主にお願いして、桑の実を採るための桑畑をみせていただきました。 記憶の中の桑の実は、小指の頭ほどの大きさでしたが、違う品種なのか、実を採るための品種改良がなされたのか大人の手の親指一本分はあろうかという大きな実がたくさんみのっていました。 桑の実は、赤いものは未熟で、すっぱい味しかしませんが、紫色(いわゆる「どどめ色」。上州あたりでは桑の実を「どどめ」と呼びます)に熟してくると酸味が消え、ほんのりと甘い味になります。 「好きなだけ食べてください」というご当主のご好意に甘え、指も、口のまわりも紫色に染めながら、しっかりといただきました。 |
![]() ご当主の話をうかがう |
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帰路、秩父神社に参拝し、隣接する「秩父まつり会館」へ。 そこには「秩父夜まつり」を再現するコーナーもあり、ひととき「秩父夜まつり」の雰囲気を楽しみました。 |
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翌日は秩父路のドライブ。 「麦秋」の麦畑で車を止めたり「秩父観音札所」へ参拝したり。 名残を惜しみながら青梅雨の秩父をあとにしました。 |
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