「絆」―家族で楽しむファミリー句会 第15回

実施日:2009年12月25日  場所:鎌倉



 こんにちは、佐怒賀家です。
 またまたまたのご無沙汰、申し訳ございません
 今回は、昨年末に久々に行いました家族4人旅での句会を報告させて頂きます。
  
 12月25日から一泊二日で鎌倉へ行ってまいりました。
 鎌倉までは久喜駅からは新宿湘南ラインで乗り換えなしに行くことが出来ます。
 ちょっぴり贅沢をして、グリーン車に乗りました。
 「北鎌倉駅」で降り、まずは「円覚寺」「明月院」と廻り、昼食後に「建長寺」「円応寺」へ。
 「鎌倉駅」前でお土産を買い、タクシーでホテルへ。
 ホテルで一休みした後、ホテル脇の「メキシコ料理店」でクリスマス・ディナー。
 ワインで乾杯(もちろん筑美はジュースです)し、ほろ酔い加減でホテルへ戻り、句会を開始。
 翌日ものんびりと鎌倉散策を楽しみました。

 以下、その句会の模様をお伝えします。


 撞木(しょうもく)のざらりと冬は本番に
 閻王の右手(めて)の小さき師走かな
 脱衣婆(だつえば)左手(ゆんで)上向く寒さかな
 青竹を立ててお堂の煤払ふ
 三椏(みつまた)の花芽の垂れて参道は
 昼月や冬の(たかむら)迫り出して
 臘梅(ろうばい)の花芽の(まろ)き禅の寺
 栗鼠走る寺への小径(こみち)冬ざるる
 小坊主の首直角に煤払ふ
 昼の月石段百は総門へ
 十王の睨み集めて冬最中          直美(通称:おとう)

 僧侶黙して仏殿の煤払ひ
 煤竹の撓ひ仏殿白龍図
 仏殿の高き扉も煤払ひ
 冬空のまぶし洪鐘(おおがね)見上ぐれば
 円窓の先異次元の冬日向
 小春日のよそ見してゐる羅漢さま
 竹に耳あてて聴く木枯しの音
 臘梅や時頼坐像おはしたり
 頭上真青冬のとんびの自在なり
 冬ぬくし僧侶次々駈け下り来        由美子(通称:ままい)

 短日の折り鶴のはね傾きて
 手袋をつけてはずして上り坂
 冬日差す竹の太きに耳を当て
 冬日受く花にみまごう椿の葉
 なんとなくいちょう落葉をふんでいる
 リス走る上下左右に冬紅葉
 襟巻のじぞう黄色の花をもち
 小走りに父の後追う冬旅行         琴美(通称:ねね)

 建長寺寒さに耐える苦行像
 冬の日の山を見下ろす洪鐘よ
 寒空にうさぎまんじゅうぶらり旅
 足下に小影を作る万両よ
 木の葉照る冬空に咲く花のよう
 円応寺八つ手に隠れる金魚かな       筑美(通称:つう)

   
 選句はそれぞれの作品から好きなものに印をつけました。結果は次の通りです。

  直美選  ◎円窓の先異次元の冬日向         由美子
       ○煤竹の撓ひ仏殿白龍図          由美子
       ○小春日のよそ見してゐる羅漢さま     由美子
       ○竹に耳あてて聴く木枯しの音       由美子
       ◎短日の折り鶴のはね傾きて         琴美
       ◎冬日差す竹の太きに耳を当て        琴美
       ○手袋をつけてはずして上り坂        琴美
       ○なんとなくいちょう落葉をふんでいる    琴美
       ○リス走る上下左右に冬紅葉         琴美
       ○小走りに父の後追う冬旅行         琴美
       ◎冬の日の山を見下ろす洪鐘よ         筑美
       ○建長寺寒さに耐える苦行像          筑美
       ○足下に小影を作る万両よ          筑美

  由美子選 ◎撞木のざらりと冬は本番に         直美
       ○昼月や冬の篁迫り出して          直美
       ○臘梅の花芽の円き禅の寺          直美
       ○栗鼠走る寺への小径冬ざるる        直美
       ○十王の睨み集めて冬最中          直美
       ◎手袋をつけてはずして上り坂        琴美
       ○なんとなくいちょう落葉をふんでいる    琴美
       ○リス走る上下左右に冬紅葉         琴美
       ◎足下に小影を作る万両よ           筑美
       ○冬の日の山を見下ろす洪鐘よ        筑美
       ○寒空にうさぎまんじゅうぶらり旅      筑美

  琴美選  ◎十王の睨み集めて冬最中          直美
       ○撞木のざらりと冬は本番に         直美
       ○昼月や冬の篁迫り出して          直美
       ◎小春日のよそ見してゐる羅漢さま     由美子
       ○冬ぬくし僧侶次々駈け下り来       由美子
       ◎足下に小影を作る万両よ          筑美
       ○冬の日の山を見下ろす洪鐘よ         筑美
       ○円応寺八つ手に隠れる金魚かな       筑美

 
  筑美選  ◎臘梅の花芽の円き禅の寺          直美
       ○小坊主の首直角に煤払ふ          直美
       ◎僧侶黙して仏殿の煤払ひ         由美子
       ○仏殿の高き扉も煤払ひ          由美子
       ◎冬日受く花にみまごう椿の葉        琴美
       ○手袋をつけてはずして上り坂        琴美



 選句後は、例のごとく互いの選評に移りました。
 まずは、筑美の句からです。

 ☆ねねは「足下に小影を作る万両よ」を一番にとりました。「冬の日の山を見下ろす洪鐘よ」の「よ」シリーズのどちらをとろうか迷ったんですけれど、「万両よ」の方が可愛らしい感じがして…。「万両」がこじんまりとポンと居る感じが「小影」と「足元」で出てるのかな。「冬の日の山を見下ろす洪鐘よ」は、情景がしっかりと見えてくるのがいいと思いました。あと、おとうとままいはとらなかったんだけれど、「円応寺八つ手に隠れる金魚かな」は、実際に水鉢に八つ手の葉っぱが浮いているのを見ていないとメルヘンの世界が広がるだけで、何だかよく分からない句になってしまうんだけれど、ねねもその情景を句にしたかったし、もしかすると「円応寺」を入れなければその分で言えるのかもしれませんが、これはそのチャレンジ精神をかいました。(ねね)
 ★八つ手の葉っぱの下に金魚が居てね、じっとしてたんだけど…。(つう)
 ☆ああ、そういうことだったんだ。何で金魚がそんなとこに居るのかなって思っちゃった。(ままい)
 ☆そういうこと。ねねは終わりです。(ねね)
 ☆ままいも「足下に小影を作る万両よ」をとりました。万両は葉っぱの下に赤い実をつけるし、その色も少し暗くて地味な感じなんだけど、そこを一生懸命見ているのもいいし、「足下に小影を作る」って、実景をよく見て表現しているのもいいと思ったからです。「よ」シリーズの「よ」なんだけど、これが変わると本当はもっといい句になるんじゃないかなって思うけど…。「実万両」なんて言い方もあるしね。「冬の日の山を見下ろす洪鐘よ」の方が、まだ「よ」が気にならないかな。「寒空にうさぎまんじゅうぶらり旅」は、これは一緒に行った人じゃないとわかんないと思いますが、一緒に行った人なのでとりました。(ままい)
 ★これは、まあ感覚的なもんだよね。「寒空に」は季語をいれなきゃということで、「うさぎまんじゅう」で真ん中はいっぱいになっちゃうしさ、「ぶらり旅」はあれは行き当たりばったりな感じだったしさ…。(つう)
 ☆なんか「寒空」に「うさぎまんじゅう」が浮かんでいるみたいだよね。でも、やっぱり一緒にいないと「うさぎまんじゅう」がわからないよね。(ままい)
 ☆「うさぎまんじゅう食べる」なら分かるけど、当たり前になっちゃうしね。(ねね)
 ★結局「うさぎまんじゅう」が難しかったってことだよね。まあ、旅の記念ということで…。(つう)
 ★おとうがとったのは「冬の日の山を見下ろす洪鐘よ」で、情景がよく見えていていいんじゃないかな。「よ」はやっぱり気になるけど…。おとうが作ると「冬の日の山見下ろして洪鐘は」なんてするんだけど、つうとしてはこれはこれでいいんじゃないかな。「山を見下ろす」って実景を捉えたことで、「洪鐘」の大きさも伝わっていると思います。それからみんながとった「足下に小影を作る万両よ」も、どちらを特選にとろうか迷ったんだけど、「小影」っていうのが、「万両」はそんなに大きい木じゃないから、当たり前になっちゃうのかなって思ったので…。「足下に影を作りて」くらいでいいのかな。「万両よ」は、さっきもままいが言ったように、「実万両」がいいね。「建長寺寒さに耐える苦行像」もいいんじゃない。本当は「苦行像」だけで、「建長寺」がなくてもいいんだろうけど、旅の句ということで…。あの肋骨の浮き出した様子は、いかにも「寒さに耐える」って感じだったよね。しっかり見て、感じた句なんじゃないかな。「寒空にうさぎまんじゅうぶらり旅」は、やっぱりわかりずらいかな。「寒空に」を変えるだけでもだいぶ違うと思うけど…。「ぶらり旅」がちょっとな。テレビのタイトルみたいだし…。「木の葉照る冬空に咲く花のよう」ってのは、木の枝に残っている枯葉のことかな。「木の葉」っていうと「冬」の季語で、もちろん木の枝にのこってるのも言うけれど、舞っている枯葉や、落ち葉のことも言うんだよね。そうすると、「花のよう」っていう比喩がどうなのかな。(おとう)
 ☆これってねねが作った「冬日受く花にみまごう椿の葉」と同じとこじゃないの。(ねね)
 ★うん、そう。(つう)
 ★そうか「木の葉」って「椿」の葉っぱのことなんだ。(おとう)
 ★そう。そこに光が反射してて、ぴかぴか光って「花のよう」ってこと。(つう)
 ★「木の葉」だと、やっぱりそれが上手く伝わらないよね。それだったら「椿の葉」にしちゃえばいいよね。(おとう)
 ★「木の葉」ってのがそういう意味だと知らなかったから…。(つう)
 ★「円応寺八つ手に隠れる金魚かな」か、これはおとうも見たからわかったんだけど、このままだと夏の句になっちゃうんだよね。「八つ手」だけだと季語にならないし、「金魚」が夏の季語だからね。「八つ手の花」なら冬なんだけど、これは葉っぱだものね。それと、「八つ手の葉が浮いてる」とか何とか言わないと、やっぱりわからないよね。「円応寺」をとって、冬の季語を入れながら推敲するといいね。(おとう)

 続いて「ねね」の句に移ります。

 ★つうは「冬日受く花にみまごう椿の葉」をとりました。これは、さっきつうの句のとこで出てきたけど、つうが作りたかったのと同じでよくわかったのと、「花とみまごう」って言い方も格好いいかなって…。「手袋をつけてはずして上り坂」もよくわかるし、「つけてはずして」っていうところで、あちこち見ながら一生懸命坂を上っている感じがして、こっちが一番でもいいかなって思いました。(つう)
 ☆ままいはその「手袋をつけてはずして上り坂」を特選に取りました。何か調子もいいし、手袋をつけたりはずしたりしているのが、明るく感じられて、旅の楽しさが表れていると思いました。「なんとなくいちょう落葉をふんでいる」ってのは、だからどうっていうんじゃないけれど、微妙な気持ちの動きを上手く表現しているなと思って引かれるものがありました。「リス走る上下左右に冬紅葉」は、せっかく野生のリスに出会ったので、私も何か作ろうと思っていたし、これは、リスが縦横無尽にささささって動いていたので、その感じが上手く表されているなと思いました。(ままい)
 ★この句ってそういう意味なんだ。リスの周りがぐるっと「冬紅葉」だっていうのかなと思った。(おとう)
 ☆まあ、どっちにとられてもいいかなって…(ねね)
 ★そうだね、どっちにもとれちゃうね。でも、それでもその「冬紅葉」の中をリスが走り回ってるのがわかるから、あまり気にせずに取りましたけれど…。(ままい)
 ☆おとうは特選を二つ取りました。一つは今日の句じゃないんだけど、「短日の折り鶴のはね傾きて」、もうひとつは「冬日差す竹の太きに耳を当て」です。「短日の」はしっかりできてるんじゃないかな。「短日や」で切っちゃったほうがいいかもね。「短日」と鶴の羽の「傾き」が合ってるんじゃないかな。本当は吟行句じゃないからずるいけどね…。「冬日差す」は上手いんじゃないですか。「竹の太きに」なんて言い方は上手いよね。ただ、「竹の太きに耳を当て」のように、「に」と「を」があると散文化するっていうんだけど、「耳当てて」とするとそれもなくなってもっと良くなるよね。これは実感があっていいよね。ままいの句にも同じようなのがあったけど…。(おとう)
☆だって3人で行ってやったんだもんね。(ねね)
 ★つうもさ、耳を当てたのを作ろうとしたんだけど、ままいみたく「音を聞く」まで行かなかったんだよね。(つう)
 ★ままいは「音を聞く」っていう句にしてるけど、かえって言わない方がいいんだろうね。(おとう)
 ☆耳を当ててれば、音を聞こうとしてるのはわかるもんね。その点ねねの方が上手いってことか。(ままい)
 ★「手袋をつけてはずして上り坂」もいいんじゃない。よく分かるよね。「なんとなくいちょう落葉をふんでいる」もまあまあかな。「なんとなく」が文字通りちょっと曖昧かな。もっと良い言葉があるような気がするな。「リス走る上下左右に冬紅葉」はさっきも言ったように、「上下左右」が「リス」なのか「冬紅葉」なのかが曖昧なところがもったいなかったね。でも、このままでも「リス走る」で一回切れるから、「上下左右に冬紅葉」になるとは思うけどね。「襟巻のじぞう黄色の花をもち」は、「襟巻のじぞう」はそこそこかな。やっぱり「じぞう」は漢字だね。「小走りに父の後追う冬旅行」は、前にもこんなのがあったような気もするけど悪くはないかな。「冬旅行」はちょっと無理かな。「冬の旅」でいい。「冬日受く花にみまごう椿の葉」は、古語を使ったところにつうは感心したみたいだけど、「花に見まごう」が平凡だったな。(おとう)

 続いては「ままい」の作品です。
 
 ★「僧侶黙して仏殿の煤払ひ」は、仏殿で黙々とお坊さんが煤払いをしてたのを見たから、その様子がよく表現されていたので取りました。もう一つの「仏殿の高き扉も煤払ひ」は、今回のままいのは難しかったんだけど、これも見た情景なのでわかりやすくて取りました。(つう)
 ☆ねねは「小春日のよそ見してゐる羅漢さま」を取りました。ねねは、この「よそ見してゐる羅漢さま」は全く印象にないんだけど、言葉の響きが好きだったのと、「小春日」が合っているなと思って取りました。あと、「冬ぬくし僧侶次々駈け下り来」を取りました。
 ★つうは、「駈け下り来」と「冬ぬかし」が合わないように思ったんだ。(つう)
 ☆自分の時に言えば良かったのに…。ねねたちは、お坊さん達が石段を駈け降りてくるのを見たからわかるけど、知らない人が読んだら何だと思うよね。でも、何かコミカルなところが好きで取っちゃいました。(ねね)
 ★あのお坊さんたちって、映画の「少林寺」に出てくるふざけたお坊さんみたいだったよね。あの後も、トラックの荷台に乗って騒いでたよ。(おとう)
 ☆だめじゃん。しっかり修業しろよって…。あとは、いいなって思うのもあったんだけど、語呂があまり好きじゃなくて…。「煤竹の撓ひ仏殿白龍図」も好きだったんだけど、「撓ひ仏殿」がどうもね。「撓ひて仏殿」じゃだめなの。(ねね)
 ★それだと「しないてぶつでん」で八音になっちゃうよ。(つう)
 ☆でも、中八でもそのほうがねねとしてはよかったな。(ねね)
 ★つうはそれよりも、「仏殿白龍図」が一つの言葉だと思って、何だか分からなかったよ。「仏殿」と「白龍図」の間を開けてくれれば良かったのに…。(つう)
 ☆「僧侶黙して仏殿の煤払ひ」も、黙々と煤払いしてるのは好きだったんだけど、これも語呂がね、あと、「冬空のまぶし洪鐘見上ぐれば」は、何か惜しい感じがする。(ねね)
 ★おとうは、「円窓の先異次元の冬日向」を取りました。これは明月院の円窓のことだけど、その先に「冬日向」を見つけたところが手柄かなって思った。それを「異次元」て表現したところがままいらしいのかもしれないけど、実は「円窓」そのものがもう日常から離れた異次元的な空間であるように感じないこともないかな。「煤竹の撓ひ仏殿白龍図」は、この「撓ひ」が連用形なのか名詞なのか、ちょっと曖昧なとこがあって、「仏殿」がいらないんじゃないかと思うので、そのあたりで整理するといいんじゃないかな。「小春日のよそ見してゐる羅漢さま」は、素直って言えば素直なんだけど、「羅漢さま」が幼い句に感じちゃうな。「○○羅漢」って言えればいいんじゃないかな。「竹に耳あてて聴く木枯しの音」は、さっきも言ったけど、本当は「聴く」まで言わない方がいいんだろうな。そうすればリズムも良くなるんじゃないかな。「僧侶黙して仏殿の煤払ひ」は、「黙して」が当たり前なのかな。かえって声を出してたほうが句としては面白いんじゃない。「仏殿の高き扉も煤払ひ」は、「高き」が実景なんだろうけど、このままだと、高いところに扉があるようにも思えちゃったりして…。言うとすれば「扉高きを」なのかなあ。でも、仏殿だから「大きい」とか「高い」自体がいらないのかな。それと「も」を使うとどうしても焦点が分かれてしまうから、あまりお勧めできないよね。(おとう)
 ★ままいにはだいぶ厳しいよね。(つう)
 ★へへ、そうかな。「冬空のまぶし洪鐘見上ぐれば」は、「洪鐘」だから「見上ぐれば」がいらないのかな。その「洪鐘」の具体的な様子を表現した方が、よりその「まぶしさ」が伝わるんじゃないかな。
 ☆本当は、ぐるっと「洪鐘」の周りを回って、ふっと見上げたときに鐘の向こうにきらっと太陽光線が光ったのを詠みたかったんだけど、時間切れということで…。(ままい)
 ★「臘梅や時頼坐像おはしたり」は「おはしたり」が平凡だから、何か「坐像」そのものを表現した方が良かったよね。「頭上真青冬のとんびの自在なり」も、「自在なり」が平凡だよね。「冬ぬくし僧侶次々駈け下り来」は、さっきも出たけど、我々は見たから分かるけど、一般的には何だろうってことになっちゃうのかな。出来事としては俳諧味もあって面白いんだけどね。これが何かの行事の一こまだったりすると良い句になるんどろうけど…。(おとう)


 最後はおとうの句についてです。

 ★「臘梅の花芽の円き禅の寺」は、おとうはきっと「臘梅」の句を作るんだろうと思ってたんだけど、お寺の名前じゃなくて「禅の寺」としたのが上手いにゃあと思って  …。(つう)
 ☆★うまいにゃあ? (一同笑い)
 ★上手いなと思いましてね…。(つう)
 ☆★思いましてね? どうしちゃったの? (一同再び笑い)
 ★えへへ。もうひとつは「小坊主の首直角に煤払ふ」で、これは「直角に」っていうのが一生懸命に煤払いしている様子が良くわかったので選びました。あと、「撞木のざらりと冬は本番に」は、鐘をメインにしないところが技を効かせようとしていてうっとうしくなりました。(つう)
 ☆つうはおとうの句はいつも全部評論するよね。(ねね)
 ★「閻王の右手の小さき師走かな」は、「右手(めて)」がね、次の句には「左手(ゆんで)」も出てくるし…。「青竹を立ててお堂の煤払ふ」は、よく分かるんだけど、ままいので煤払いのをたくさん見たのであきちゃったかな。「三椏の花芽の垂れて参道は」は、「三椏の花芽」が分かんなかった。次の「昼月や冬の篁迫り出して」って、「篁」って何? (つう)
 ☆竹藪だよ。(ねね)
 ★そうなんだ。質問しなかったんで、何が迫り出してるんだか分かんなかったんで…。「栗鼠走る寺への小径冬ざるる」は、「冬ざるる」が何か嫌でした。(つう)
 ★何かこじつけてるんじゃないか…。(おとう)
 ★でも、「ざるる」がやっぱり嫌だ。(つう)
 ☆「ざるる」なの…。(ねね)
 ★「昼の月石段百は総門へ」は、石段は百じゃないわいって感じで…。(つう)
 ★百四十段ぐらいあったもんな。(おとう)
 ★ちゃんと数えたんだよ私は、ってとこかな。「十王の睨み集めて冬最中」は、「睨み集めて」には強さ的なものが出てるし、集合してる感があったからよかったんだけど、「冬最中」が何かね。もっとシュッとしたものがほしかったな。(つう)
 ☆ねねは、その「十王の睨み集めて冬最中」を一番に取りました。ねねは逆に「冬最中」が「睨み集めて」と合ってるかなって思ったんだけど、「冬最中」の厳しさで引  き締まった感じがして、それに「十王」で、今日の吟行句っていういのも良くわかったので、これを一番に取りました。次に「撞木のざらりと冬は本番に」を取りました。これは、おとうの俳句としてはものすごく良く分かるし、「ざらりと」っていうのも「冬本番」と良く合ってると思いました。「昼月や冬の篁迫り出して」は、やっぱり「迫り出して」なんてとこを良く見てるなって思いました。でも、月と竹って、何だか「かぐや姫」の世界みたいで、ちょっとピッタリすぎるかなあってとこもあるけどね。(ねね)
 ★ねねももっと批判して。(つう)
 ☆へへ。ええと「閻王の右手の小さき師走かな」は、そんなに嫌いではなかったんだけど、「右手の小さき」ってのがそんなに印象になかったから…。(ねね)
 ★でも、顔とか体と比べると、本当に小っちゃかったんだよ。普通さ、強さとかを表すんなら、もっと大きくてもいいと思うんだけど、だから印象的だったんだけどね。(おとう)
 ☆でも、そうだったとしても、それはそんなに良い感じではない。やっぱり閻魔様はどっしりとしてるもんで、小さかったのかもしれないけど、感じとしてはあまり良くないな。「脱衣婆の左手上向く寒さかな」は、「右手」「左手」が隣に並んでしまったので、ちょっと気になって、これは良くもなく悪くもなくってとこで…。「青竹を立ててお堂の煤払ふ」は、分かりやすい俳句なんだけど、「煤払い」があんまり面白くないかもね。「三椏の花芽の垂れて参道は」は、つうと同じで「三椏の花芽」が分かんなかったので、そうすると色も何も全然分からない句になってしまうので取りませんでした。「臘梅の花芽の円き禅の寺」は、「禅の寺」っていう言葉は上手いなって思ったんだけど、何だか好きじゃなかった。「栗鼠走る寺への小径冬ざるる」は、自分が栗鼠の俳句を作ったのもあるし、やっぱり「冬ざるる」が…。(ねね)
 ★可愛らしくない…。(つう)
 ☆うん。「ざるる」の「ざ」が嫌だなって思って…。「小坊主の首直角に煤払ふ」は、「直角」がカクッとし過ぎてて、上じゃなくて下を見てる感じがして、煤払いだから上ってのは分かるんだけど、その「直角に」が効いてなかったかなって思って取りませんでした。「昼の月石段百は総門へ」は、何か他にも同じようなのがあるかなって、「石段百」も、総門だったらそのくらいあるかなって思って取りませんでした。今回はおとうの句がいっぱいあって取るのが大変でした。(ねね)
 ☆つうもねねもいっぱい言ってくれたので、言うことがなくなってきましたが、ままいはおとうの句はいっぱい取っていまして、五七五の中に、今日見たいろいろなものをどう入れるかっていうのが、結構上手いなあって、最初見たときに思って、ほとんどの句が上手いなあって思って、どれを一番にするかは若干迷うところでした。でも、ねねがさっきも言っていましたが、「撞木のざらりと冬は本番に」が、やっぱり実感があってしかも具体的で感じが出てるかなってことで、私も触ったので、すぐに「あああれね」って思えて取りました。で、これが最初だったので、ああまとめ方が上手いよなって思いながら後の句も見ました。二番目に取ったのは「十王の睨み集めて冬最中」で、私が円応寺に行きたかったので、私も閻魔様をはじめ十王に、あそこは睨まれに行く所なので、しかも視線が皆真ん中の方を向いてて、ど真ん中にいると全部の王からぎゅっと睨まれているような気がするんですけれど、それを「睨み集めて」って言ったところが上手いなって思って、ねねも言ってましたけど、冬の緊迫感とも上手く、ちょっとかみ合い過ぎてるのかもしれないけど、あっていると思いました。それと、「十王の」って言うと焦点が散っちゃいそうなんだけれど、視線を使ってそれが一箇所にまとまってるって言えば、それで表現できるんだって感心しました。「昼月や冬の篁迫り出して」は、昼の月を見たときに私もこれは何か作らねばって思って、庭園の有様とその上の昼の月を詠みたかったので、それはどこを切り取るかってことなんですけれど、これはこの感じであってるのかなって思って取りました。それから「臘梅の花芽の円き禅の寺」は、あの花芽の様子と「禅の寺」という表現とがあっていてこれも結構好きな句でした。「栗鼠走る寺への小径冬ざるる」の句は、栗鼠を句にしたというだけでも敬意を表して取りたいというのもあったんですが、「寺への小径」ってしたところが、ああなるほどねって思って、そういう風に表現できるところが、俳句を作ろうっていう姿勢とつながってるのかなって思いました。他の季語もあったのかもしれませんが、私は「冬ざるる」は嫌でもなかったので取りました。同じ円応寺の句でも、「閻王の右手の小さき師走かな」と「脱衣婆の左手上向く寒さかな」は、やはり「右手」「左手」で、小技を効かせ過ぎかなって思いました。(ままい)

 ★これにて、本日の句会を終了いたします。(おとう)
 



 それではまた。


  




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