第37回 2010/10/26 |
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えりもとをなぐるやうなり秋の暮 虚子 暮の秋 |
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明治二十四年十月二十五日 |
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この句は虚子が初めて虚子と名乗った最初の句である。 「十月二十五日。可然、青桐(碧梧桐)、小庵に会合。この時の会稿はまとめて『二輪梅』と称し、子規、古白其他の短評を記入すること前の通り。余、ここにはじめて虚子の号を用ゆるを見る。蓋し数日前の子規よりの来信によつて改めしもの。」 この年の十月に「放子」という号をつけた虚子であったが、そのほんの三週間くらいで子規によって俳号を変えられている。 虚子もなかなか従順なのだが、それはそれとしても圧倒的に虚子の号のほうが良い。 「暮の秋」を「秋の暮」と手直ししたようだが、「暮の秋」では十月の下旬のころを言うだけの季題になってしまう。 しかし、「秋の暮」は秋の夕暮れをいうのだから、句として意味が違っている。 虚子もこのころは、まだ十七歳くらいだから、目くじらを立てるつもりはないが、結構いいかげんな作句態度がおおらかで面白い。 もっとも子規の添削でもあったろうが。 碧梧桐も同い年でまだ若い。「青桐」という俳号の命名は誰なのかは知らぬが、なかなか良い味を出している。 「なぐる」とは、「殴る」であろうか。別の動詞の「なぐれる」の「なぐる」であろうか。後者は「横にそれる。おちぶれる。売れ残る」などの意味があるが、その中では「横にそれる」が意味としては近いかもしれない。 「殴る」も意味はなんとなくわかるが、筆者としては「横にそれる」が感覚的に好きだ。 秋の夕暮れが襟元をすーっとそれてゆくとはなかなか面白くはないか。 襟元のうそ寒さ、特に当時の和服のやせっぽちの虚子のすかすかとした胸元を秋の夕暮れそのものが通り過ぎてゆく。 虚子がまだ俳句に手を染めて間もない、まだ俳句に信頼感のないころのふわふわとした心情が良く出てはいないか。ちっょとこの解釈と句評は、文法的にも無理があるのも承知だが。 ひょっとしてこの句は明治初期のころの虚子の名句のひとつになりはしないか。 |
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(c)Toshiki bouzyou | |||
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