第45回 2010/12/21

  高濱虚子の100句を読む     坊城俊樹




   雛よりも御仏よりも可愛らし     虚子
        昭和四年三月五日。三女宵子の長女恭子生後八十日にして夭折。其初七日。

 痛切な思いがにじみ出ている。ちょうど雛祭りのころであるから、その調度を前にしての哀しみは想像にあまりある。
 新田伯爵家へ嫁いだ宵子の哀しみは、そしてそのまま虚子の哀しみに通じる。
 思い出すのは、大正三年に虚子の四女の「六」(ろく)を失ったことである。「ろく」は四女であるが、六番目の子ということで「ろく」と名付けられた。
 生まれながらに不自由な身であったそうだが、まるで犬の子のような名前に、哀れを通り越してしまう非情なるものを感じる。
 ただ、虚子はこれを契機に無常観や諸法実相を獲得してゆくわけだから、まったく冷徹なる出来事とは言い難い。そして、「落葉降る下にて」という写生文を為すことで、すべてのものの滅びゆく姿を見てみようという達観へ至るのだから。

 虚子は「ろく」の死後、父のように慕っていた長兄の政忠・夏目漱石・子規以来の俳句の先達、内藤鳴雪などを失い、そして、ここにこの孫を失う。その間十五年。はたして、このような直情の虚子の句をその間にはあまり見たことがない。
 やはり、五十五歳にしての子や孫にたいする情というものは、若き父であったかつての虚子とは異なるものがにじみ出て来たのであろう。
 
 ところで、その一週間後に虚子は、

  茨の芽のとげの間に一つづつ     虚子   三月十四日

 という客観写生の句を作っている。私はひそかに、この句は高野素十の代表作の、

  甘草の芽のとびとびのひとならび   素十   昭和四年

 の下敷きになっているのではと想像している。同年に作られた虚子のこの句を素十が見ていなかったはずはない。少なくとも無意識の中に存在していたはずである。
 それはともかくとして、虚子のすごさは掲句のような哀憐の句の翌週には、このような客観写生の到達点たる句を作ること。その感情の量の変幻自在のすごさ。
 「ろく」の時の冷徹な虚子、掲句の情感あふれる虚子、この句の客観写生の虚子、はたして同一人物の感情なのか、まことに不可解なのである。



(c)Toshiki  bouzyou




前へ  次へ  今週の高濱虚子  HOME