第52回 2011/2/22

  高濱虚子の100句を読む     坊城俊樹



「番外編」

   祇王寺の留守の扉や推せば開く     虚子
       大正十四年


 祇王寺は、「平家物語」の祇王・祇女にまつわる尼寺。
 その庵主の高岡智照尼は、新橋の花柳界から名妓として映画スターに。そのあまりの美貌の故に、多くの文人墨客・政治家・公家などと交遊した。
 その後、恋愛に失敗して自殺未遂や離婚なども経験。外国人を追いかけて海外で暮らしたことも。
 一説によると不義理のあった元恋人に自身の小指を切断して郵送にて送った。もっともこれは著作の『花喰鳥』の中の自伝的虚構によるものかもしれない。
 瀬戸内寂聴の『女徳』の主人公としても知られている。平成六年、波瀾万丈の人生を九十八歳で終焉する。
 虚子とは、むろん「ホトトギス」通じての弟子として生涯にわたり師事した。それはもう信仰のようであったという。

 ところが携句には季題が入っていない。
 有季定型の大将としてはいかがしたことか。季節感としては、尼僧を訪う時候からして春か秋の雰囲気だが、「留守の扉」だけでは、やはり四季は判然とはしない。
  また一説に、
 
  祇王寺の草の扉や推せば開く 虚子

と「草」としたものを「留守」と推敲したとある。むしろその方が季節感はあるが、今度は庵主本人が留守であったかはいまひとつ判断つかないかもしれぬ。
 筆者としては、「草」の枝折り戸か蔀戸によって、裏口から虚子がそっと入ってくる雰囲気が惜春の情めいていて、この方が好きだ。
 また「扉」は「とぼそ」と読ませるらしいが、これもまた低い垣根の草の戸のような感じがあって滋味がある。
 いずれにしてもなぜ虚子は無季にしたか。
 むろん虚子はそれに気づいていたが、やはりそのままにした。それほどこの句をお気に召していたようだ。そして、あえてこの句を俳句とせず、「十七字の詩」と称した。
 後に、自由律や社会派の俳人たちがこの無季の句を虚子が許容・容認したとしてさわいでいたようだが、「詩」であれば何ら問題はない。
 この句の恋めいている情景は、虚子の「艶句」ばかりを七十七句集めた『喜寿艶』に入れるべきだったと思うが、喜寿の虚子は照れていれなかったのだろう。
 その恋の雰囲気が虚子をして、つい季題を入れることを忘れさせた。そして、そのままの「詩」のほうが俳句と銘々するよりよほどしっくりと来たのに相違ない。
 

(c)Toshiki  bouzyou


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