第83回 2011/10/11

  高濱虚子の100句を読む     坊城俊樹



   蔓もどき情はもつれ易きかな    虚子
        昭和二十二年

 「智照尼は云ふのであつた「句日記で、蔓もどき情はもつれやすきかな、といふお句を拝見致しました。・・・情はもつれやすきかな、つて・・・ほんとうに、知つてゐらつしやるお言葉だと思ひました」低い、ひかえめな、声で智照尼はさういつて、
「・・・やつぱり虚子先生のやうな方でなければ・・・」
 といふやうに言葉をにごして、それから笑つた。
                (京極杞陽の「智照尼といふ文章の一節)
『喜寿艶』
 虚子の自句自解である。
 この句はむろん「情」の句であるのだけれど、少し怖い。高岡智照尼という、その時のセンセーショナルなる特別の人から言われたということもある。
 前にも触れたが、彼女は花柳界の出から、女優、バーのママなどを経て、ヨーロッパで一子をもうけ、その子を置いて日本に戻り、また別の恋人に自身の小指を切断して送りつけたことで知られている。
 ホトトギスの同人でもあり、虚子を慕うことはこの人の情念における真摯なるものの一つであったろう。その純粋性は、女の情念の化身のごときであった。
 いや情念というより、この人のそれは生霊と言うに値する。虚子もそれを知ってか、この句の自句自解に彼女を登場させているのである。
 ちなみに、それらの字句を辞書で調べると、
「生霊」
 生者の霊をいい、憑依霊の一つ。怨念をもって他者の肉体に憑依し、死にいたらしめることもあるという。生魑魅(いきすだま)もこれと同じもの。生御霊(いきみたま)は異常なものでなく、人間本来のもつ魂がそれ。
「情」
 他人を気の毒だと思う気持ち。思いやり。なさけ。特定の異性を愛する心。我。意地。頑固。

 虚子の生霊は必然として、それに触れた智照尼の生霊と感応した。それは、情という想いにとどまらない、生身魂の運命的な出会いのような気がしてならない。

 余談だが、この句は現在、東京の九段にある三輪田学園の中高の正門のところに句碑がある。なんとも、適所とは言い難い場所にある。
 はたしてこの句を見た女子学生たちはいったい、どのような反応をするのだろうか。古めかしいと言ってせせら笑うか、文学少女などは眼を輝かすか。まことに興味あるところである。






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