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【作品43】 |
2009/04/03 (第477回)【最終回】 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
八束の生前最後の作として、時期や内容からもふさわしいと思われる句。私自身は、この句の「雁」に「がん」と振り仮名が付いていたことに一時は驚き、八束の心中を忖度しすぎた嫌いがある。逝去直後は、やはり「がん」と一人思い込んでいたのだろうか、と胸中を察してみたのだが、一般的に見れば、「かり」か「がん」かの読み分けで読者が迷わないようにとの気遣いだけであったのかも知れない。 そのような前提で改めてこの句を読み直してみると、「雁も舟も海峡を渡るときはスピートを上げて速くなる」という句意になろう。海峡の早い流れに流されまいと舟は速度を上げて渡ろうとする。雁も海峡に差し掛かると、海になど落ちないように速度を上げる。実景としても十分成り立つだろうが、一句を読んだときに引き込まれるのは、この海峡がこの世と彼の世の境目のような感じがすることだ。なにやら最後の難関を切り抜けて平安の彼岸に辿りつこうと殊更に最後の力を絞っているような印象を受けるのである。最後の生き急ぎをしていると言ってもよいだろうか。 しかしながら、そこには悲痛な翳りは見えず、むしろ見知らぬ世界へ惹かれるように速度を速めていく明るいロマンのようなものすら感じる。こういう人生の閉じ方ができれば、人間はどんなに幸せであろうか。殊に、時代的にも個人的にも悲痛なことが多かった八束は、それらを一身に背負いながら格闘しながらも、俳句という十七音誌に夢を抱きつづけ新しい世界を追求してきた。この句は、そうした自らへの最高の贈り物ではないか。八束自身は、これらの作を寄稿後、入院することになるが、以後は句作をすることはなかったようだ。俳人としての潔い最後の作であったと思う。 「らくだ日記」も1年くらいの予定でゆるやかに書き始めたものが、気がついたら2年近くになってしまいました。最後まで読んでくださった方々に心より感謝申し上げます。 |
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『春風琴』平成9年作 | ご愛読者様 佐怒賀正美先生 長い間ありがとうございました。 飯塚書店 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(C)2007 Masami Sanuka | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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佐怒賀正美(さぬか・まさみ) 1956年(昭和31年)、茨城県生まれ。高校まで古河市で過ごす。 東大仏文科卒。現在、出版社勤務。外国語及び日本語の辞書編集を担当。 現在、結社誌「秋」主宰、「天為」特別同人、同人誌「恒信風」同人。 ASAHIネットインターネット句会「光塵句会」「椨の木句会」主宰。 俳人協会、現代俳句協会、日本文藝家協会、日本ペンクラブ各会員。 句集は、第1句集『意中の湖』(1998)・第2句集『光塵』(1996)・第3句集『青こだま』(2000) ・第4句集『椨(たぶ)の木』(2003)(いずれも角川書店刊)。 「電子文藝館」(日本ペンクラブHP)に第3句集までの代表句150句を掲載。 |
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