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「俳句って?」 |
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●定型について そもそも俳句の定義というものからはじめなければなりませんが、俳句の生い立ちがそれに深くかかわっているので、話せば長いことになります。 その話は、平安時代くらいから始まりますので、皆様はさぞかしうんざりしてしまうのではないかと思います。よほどお暇の方はそれらの文献が多く出ていますので、そちらをご参照いただきますよう。 ここでは、その間の千三百年くらいは端折ってスタートしたいと思います。 さて、俳句とは不思議な名前ですね。 「俳」とは、かけあいの芸をする人。道化役の役者。戯れごとをする人。ひと筋にゆかず右や左にふらふらとふらつくこと。このくらいの意味があります。あまりよい印象じゃありません。人に非ずという意味もふくまれているかも。 いわば、芸人の遊びで、滑稽な芸風だったのでしょう。歌舞伎が「かぶく」すなわち風変わりな派手な身なりや行動をする、という語源から来ているということはよく知られています。それにやや近い印象があったのでしょうか。 たしかに、芭蕉や一茶などの様子格好はどことなくヒッピーのそれであり、尾崎放哉・種田山頭火となると漂泊の俳人そのものでした。そりゃ、学のあるエリートのなれの果てといってしまえばそうですが、エリート自体がそのまま余技でやっていたのとは格段の差があります。 やはり、俳句とはかなり反体制派の余韻があると思われます。近年でこそ、学者や社長・医者や僧侶などが俳句の結社を主宰して、高尚なる俳句を持ち上げていますが、もとをたどるとどこの馬の骨だかわからない人が俳句を支えてきたと言っても過言ではありません。 前に文学者の桑原武夫が俳人を相手に、俳句は芸術に足らぬという「第二芸術論」を展開し、現代のひよわなでエリートの雰囲気を楽しみたい俳人たちが震え上がりました。 しかし、高濱虚子は、「第十三芸術くらいかと思っていたが、第二芸術になった」とうそぶいては笑ったということです。このあたりの反応のほうが、むしろ俳句の原点をよくとらえた反応であり、案外本質を衝いていると思うのです。 むやみやたらに、俳句を高尚にして、文化伝統の砦のように扱い、知識人の専門であり、老人のたしなみであるとするより、学校をドロップアウトして、一時は引きこもった兄ちゃんたちもできるようなブンガクである俳句のほうが、実は歴史的にみても正統な伝統であったりもするのです。 さて、五七五です。 俳句は五七五でできています。それはもうちびまる子ちゃんでも知っています。よく、指を数えて俳句を作っている人を見かけますが、それは正しい姿です。というのも、俳句は口承のブンガクとでもいいましょうか、音でもって俳句の数をカウントすべきものなのです。 もしそれが文字数なら、 ちょうじょうにしょうじょうばえがびゅんびゅんと という俳句があり、それを仮名で書いた場合は、二二文字ということになってしまいます。 頂上に猩々蠅がびゅんびゅんと 音で表すと、 chyo u jyo u ni.......五 syo u jyo u ba e ga.......七 byu n byu n to.......五 ということで、母音をカウントすることで、めでたく五七五音となるわけです。そのシラブルごとに指を折ってゆくのが正統なのですね。 ブルータスおまえもか bu ru u ta su......五 o ma e mo ka.....五 という具合に、外来語のカタカナ表示の場合は、もとのスペルより表音のローマ字を思い出すと、指を折りやすいと思います。けっこうこれ迷いますけど。 ヨット yo tu to......三 なんて、すっとこどっこいみたいなかんじで、吃音が入ると指をふんふんと多めに折るようなかんじでスッキリしません。 モーツァルト mo o tsa ru to........五 なんとか五音ということで一件落着。でもありませんね、どことなく無理は承知の助であります。 やはり外来語を俳句に入れるというむずかしさは、古今東西変わりません。最近、新しい俳句を追求しようとして外来語を入れれば、グローバルスタンダードに乗り遅れないと思っている人が、死語に近い言葉を入れて俳句を作りますが、どうもいやだなあ。「メール」なんてもう死語じゃありませんか。ちなみに三音で指みっつですけど。 BLUESのころの話や水中花 俊樹 なんて俳句もあるのですが、「ブルース」としなかったのは、かつての黒人のブルースを言いたかったからでして、淡谷のり子先生のそれじゃなかったからです。 で、 bu ru u su........四 ということで、言語のスペルとはひとつ少ない音になるわけです。なんかトリックみたいですけど、仕方ないのであきらめてください。日本が先の戦争に負けて、外来文化がアメリカなどからどっと流入してきた結果なのですから。あっ、淡谷さんみたいに「ブルース」とすれば文字と音が一致するではないか。 でもねえ、この時のアレサフランクリンの音楽はやっぱりBLUESだしなあ。ズロースやブルマーじゃ変態だしなあ。 さて、俳句はなぜ五七五になったのでしょうか。 それはよくわかりません。 そのもとは原始的歌謡から発生し、万葉集あたりの大和言葉を文字的起源とし、その中の長歌が核となり、やがて鎖のようにつながって反復する連歌という形態から、俳諧の連歌のようなものになり、その俳諧の発句だからなんとかはいいのですが、その本当の起源はよくわかりません。だって、それこそ四千五百年前に朝鮮語とわかれたあたりの絶叫みたいなものがルーツなのですもの。 (私説) そもそも縄文人から弥生人へと変遷してきた日本人。 「ううううう マンモスのにく おれにくれ」 というのも五七五ですが、どうも現代用語のようです。むしろ、 ヤマ・カワ・ハナ・ハトという二音節が根源の日本語であったかと。それに、小さいという意味の「オ」をつれて オヤマ・オガワ・コバト とかになります。三音節が最小の言葉とでもいいますか。三母音といいますか。 それに二音節を足したもの コバトクウで五音。それにまた二音節足して コバトクウヤマで七音。 ちょっとあやしい理論ですが、二音節が日本語の最小単位であるということはほぼ間違いないようですし、三音節が言葉としてはもっとも流通した小さな単位だったということだそうです。ただ、それだけでは散文的でも詩的でない。そこで、「クウ」(食う)みたいに次の二音節の動詞などを追加したのではないかと。 オレ オマエクウ オマエオレクウ オレコバト なんてかんじでしようか。 かなり言語学者さんたちの目くじらを立てそうな私論ですが、大野 晋氏の学説を若干借用させていただいております。 もともと日本語は文字を持っていなかったといわれております。口であーとか言っていたのですね。その後漢字が入ってきて、ものすごく流通するのですが、その原形はあくまで口語体。原始人みたいな人たちですから、五音とか七音以上のセンテンスがはびこるという知能はあまりなかったんじゃないだろうか、と。 そのへんが歌としての最小のセンテンスというか、一息で歌える長さではなかったかと思うのです。しかし、三音ばかりでは単調です。五音ばかりでも単調。ここに、それらを複合させた歌謡らしきものが出る。 三音と五音でもいいですが、五音と七音あたりの節がいい。 現代風でも、演歌を三音五音でいくと、「北の宿から」(都はるみ)ならば、 あなた かわり ないですか ひごと さむさ つのります 中国人の日本語みたいですね。ラーメン屋のおやじが注文を取りに来たときみたいです。アナタ キョウハ ナニスルノ ギョウザ アルネ 都はるみさんが泣きますな。 元の歌となれば、 あなたかわりは ないですか ひごとさむさが つのります というように、こぶしが効くと同時にしっとりとた情感が出てくるではなかろうか。なんかこのあたりも詭弁ぽくないことはないのですが、学問なんてこんなもの。カラオケを含めて、長年詩歌を口ずさんでいる小生のほうが、歌い手としての実績があるので、どうか信用してください。 ところで、私のように戦後生まれで、アメリカ占領軍の文化を骨の髄までしみ通らされてきた、似非日本人にとって、正直のところこの五七五の韻律は古くさく思ってしまうのです。だからブルースや演歌よりもジャズやポップスに行ってしまう。 多くの、団塊世代・新人類世代・団塊ジュニア世代以下の人たちの正直なところではないでしょうか。 今すぐ逢って見つめる 素振りをしてみても なぜに黙って心離れてしまう? 泣かないで夜が辛くても雨に打たれた花のように 涙のキッス もう一度 誰よりも愛してる サザンオールスターズの「涙のキッス」の一部分であります。作詞は桑田佳祐。俳人の方々にはあまりなじみがないかもしれませんが、まあフツーの団塊世代までは知っていると思いますが。 かなり古い、(といっても現代的古さであって、俳諧的数百年という古さではありません。せいぜいが二十年といったところです)歌ですが、歌詞だけみますと、割に死語になった言葉が多い。ただ、歌わないとわからないのですが、 「今すぐ逢って見つめる素振りをしてみても」まで一気に歌い上げます。 「なぜに黙って心離れてしまう?」が次の小節で同じ長さですが、歌詞の数がうんと少ない。つまり、実際は、 「なぜに黙ってここーろ離れてしまーうーーー」くらいに歌っているわけです。 ここにおいて、歌だから当然なのですが、おなじセンテンスでも文字の数がばらばら。定型でないといえばそれまでですが、歌詞の数の変化によって、歌詞の古くささから逸脱しているのです。 五七五のリズムが均等であるからこその古くささ。とかんじるのが現代人かも。この五七五をもっと歌であるとかんがえたらどうなるか。さきほどの音のとらえかたをもっとルーズにしてもよいとしたらどうなるか。あるいは、もっと緊迫して文字や音をつめこんだ形を定型という器に盛ってみたらどうなるか。 この後の話はかなりアバンギャルドになりますので、気の弱い方はこのあたりで読むのをおやめください。 ナゼニダマッテ...五音 (ナゼニで指を二本、ダマッテで指を三本折る) ココーロハナレテ....七音 シマーウーー.....五音 (シマーで指を二本、ウーーで指を三本折る) という調子です。 実際は上五は六音、中七は七音、下五は三音のところ、歌の調べとして最初はきつく、真ん中はやや冗長に、最後はもっとスローテンポにもってゆく。桑田の何語だかわからないような歌い方が今の世の人たちに新鮮に映ったのもこの歌詞の歌い方にあったわけです。 それもまた定型。とまでは言いませんが、この新鮮であった、ショッキングな歌い方が何かのヒントになりはせぬか。 だって今の子たちの口語はもう我々俳人としては理解できないのです。しゃべり言葉がですよ。そりゃ、あいつらのほうが非国民だということは知っております。しかし、それを排斥するだけで日本語がこのまま22世紀に生き残るのでしょうか。 歌詞は死語になりやすい。 しかし、調べやリズムというものは一度耳になじんでしまうと、けっこう長生きします。俳句は歌詞つまり、言葉の文学ですが、そのリズムである定型には改良の余地がある。五七五を崩すのではなく、そのテンポや言葉の数の入れ方に目を向けることが可能なのではないかと。 これからの日本語とその口語体にはおそるべき外来語が進出してきます。いや、侵略してきます。俳句に興味のある御仁はそのことに目をつむっている。そうしないと俳句はほろんでしまうからです。しかし、実際の日本人の今後百年以内の言葉は外来語に負けます。 それは俳句の死を意味します。 ならばどうしたら次の、そのまた次の世代に言葉としての俳句を継承してゆけるのでしょうか。 むろんそれは教育です。国語教育です。そして、家における本というものによる情操教育です。学校も家庭もありません。一刻も早くこれらを回復させないと国語は危険水域を超えましょう。 でも、俳句だけが特殊なものとして、つまりさきほどの第二芸術のように不思議な存在として、生き残れるのでしょうか。 生き残れます。 俳句を特殊なものにしてしまえばいいのです。それこそ五七五という定型のようなラップミュージックのようなリズムの世界を創り上げるのです。言葉は死語になっても、そこにまた新しい言葉をつぎ込むことができる。ただし、五七五は死守しなければならない。 その五七五のリズムは世紀によって微妙なカオスあるいは、ゆらぎのようなものがあったはずです。それを利用する。 私たちのDNAにすりこまれているといわれている五七五の定型のリズム。それは当時の楽器によって、あるいは言葉のリズムによって時代でかなり異なるはず、平安時代のリズムと外来語に責め立てられている現代のリズムには大きな音楽的変化があるはずです。 いつまでも、同じ母音の長さではなくなっているのかもしれない。子音もまた。それは言葉は本来歌謡であって文字から来たものではないからです。 この歌謡であるということを学者たちはあまりにも馬鹿にしてきた。それは学問としてより歌としての音楽論になってしまうから。それを恐れて、定型のがんじがらめを説いていた。 しかし、二千年の世紀、すなわちミレニアムは平安時代あたりと同じ、というか承久・応仁の乱以上のビッグバンであります。学者は過去を研究すればいい。実作者たる俳人はそれを次世代に引き継ぐ義務がある。これは定型というものの古壺の天地にゆうゆうと遊んでいるだけではままならないでしょう。 この理論はあるいは定型破壊の理論かもしれません。しかし、それを過去に議論したことはあるのでしょうか。外来語の、 チゴイネルワイゼン.....九音 というバイオリン曲などが平気で俳句に入ってくる時代。このチゴイネルワイゼンという九音の言葉は十七音の世界の六割を侵略しているのです。 東京ミッドタウンという街や六本木ヒルズという街では俳句は作れない。東京ディズニーランドでも作れない。それはむろん五七五の呪縛によるもの。いいえ、そうではないのです。 これから襲来する言葉、それは外来語とは限りませんが、外来語を排除するより日本化してしまえばいい。カタカナ言葉を排除するより日本化してしまえばいい。その話はまた別の機会にゆずりますが、そのためには五七五の定型の壺が過去の堅い壺よりもフレキシブルである必要があります。 壺はその許容量がきまっているのが普通です。しかし、材質を陶器ではなくて、壺の形をしたウレタンフォームであったり、形状記憶合金のようなものにする。そこに、日本化させた言葉、そう新世紀のやまと言葉をてんこ盛りにする。 五七五というスタイルはそのようにして古くさいものではない、まったく新しい伝統の上に成り立つ壺になってゆくのです。考えてもみてください、まだほんの二百年くらいでしょうが、ルイヴイトンのスーツケースは形こそ微妙に変化しつつも材質はどんどん新しく、かつ新しいデザインをそこにオーバーラップしています。伝統というのは、その作品の中身はむろん、作品の側もまた革新かつ継承してゆくものです。 私は本当はこんなことを言いたくなかった。 しかし、現代の日本人や日本語が昭和や江戸時代に戻れるのでしようか。そのマインドは完全にイッチャッテます。日本のものではない。 一度、国民を総入れ替えしないと無理かもしれません。 俳句という詩は純国産品です。その本質を変えられるものではないし、変えたときは死にます。ただ、その土台は残念ながらその時代を反映もしている。その国民の言葉は流行とはいえないでしょう。ならば、侵略されつつある言葉を日本化してしまう。それを入れる新容器を考案すべきでしょう。 ルイヴイトンのような頭陀袋を。 |
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