虚子伝来 vol.3 2007/06/08 |
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「歳時記ごっつぁんです」 |
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歳時記といいますと、日本の四季おりおりの風物をとりまとめたもの、程度の認識が一般的でしょう。 何も俳句の世界だけが歳時記を利用しているわけではないからです。 食の歳時記とか旅の歳時記とかいろいろな本が出ているのでもおわかりかと思います。でも、なんとも素敵な呼称ですね。季のものを寄せた百科事典的なもので、天文・地理・動物・植物・人事などに分類され、時には正月を別項目としています。月毎に分けているものもあり、さまざまなスタイルが時代のライフスタイルに呼応しているといえます。 江戸時代の北村季吟の『山之井』、曲亭馬琴の『俳諧歳時記』、『俳諧歳時記栞草』などや、昭和になれば高濱虚子の『新歳時記』、その他多くの編者による『大歳時記』などありとあらゆるものが出版されています。 俳句ではよく、新仮名遣いにするか、歴史的仮名遣いにするか、などの議論がされていますね。旧漢字でやるという俳句作家は少なくなりましたが、新漢字なら新仮名遣いというわけにもいかなくて、新漢字と歴史的仮名遣いが混在したりしています。 まあ、いろいろな理由がありますが、ひと言でいえばファッションです。 どんな理由があるにせよ、歴史的仮名遣いは過去への郷愁。それが美意識に繋がっていると思っているのです。 とまれ、それは明治政府が西欧化の一端として指示した、反文化活動の弊害でもありました。それと似たようなものに暦の制度改正がありました。 いわゆる太陰暦と太陽暦のことです。明治五年に採用されました。ご存じのように、地球が太陽のまわりを一周するのを一年としたわけです。それにたいして、太陰暦は月の満ち欠けを基準にしてきめた暦。二九.三〇日の月を一ト月とするわけですが、ちょっとずつズレが生じるので現代的でないとしたのでしょう。また、それに太陽暦の要素を入れた太陰太陽歴などもあります。 そのような明治以降の文化の変革によって、過去の歳時記から現代の歳時記に至るまでは、暦や歳事にいくつかの混乱があるのが実態です。たとえば新暦の正月が現在の一月なのに、旧暦の正月は二月に属するなどが典型的です。七夕やお盆などが、都市圏では七月あたりで、地方では八月に行われるのもその一環でしょう。帰省ラッシュが八月十五日あたりで、東京から下り線の東北自動車道が大混雑しますが、東京が古里で地方に今住んでいる人が多数なら、七月十五日に逆方向が大混雑するはずです。 いずれにせよ、日本人というものは、かかる新旧のことがらを併存させて生きている民族なのですね。古いものも大切にし、新しいものも取り入れて行く。そこには、単なる合理性を追求するばかりでない、過去へのナイーブな叙情が「千の風」の曲の如く波打っているわけです。だから、さきほどの旧仮名遣いのファッション性もまた、ナイーブな叙情と美意識の産物であるわけです。 まあしかし、明治政府も列強の支配からいかに日本国を護るかという命題があったのですから、その劣等感的改革をすべて責めるわけにもいかないでしょう。 過去の歴史においても、唐の国に感化されたりしてその繰り返しであったのですから。 話はちがいますが、先に見つけた居酒屋の中に貼ってあったウイスキーのトリスの広告のロゴがふるってました。 おそらく昭和二十年代あたりのポスターと思われるものですが、 花わらい 鳥うたい 人は醉う とありました。 なかなか素敵なコピーです。花は笑い、鳥は歌い、人は酒に酔う、ということです。トリスウイスキーのしゃれた漫画と取り合わさって、古き佳き昭和の時代が出ている傑作でしょう。おそらく、開高 健か山口 瞳氏あたりの作じゃないでしょうか。 でも、これって新旧混在ですね。本来なら、 花わらひ 鳥うたひ 人の醉ふ とでもなるはずです。でも、この歴史的仮名遣いと漢字に統一してしまうとなんとなく昭和のよき時代が出てこない。教科書みたいになっちまうのです。だからこの混在こそ、古き佳き時代と当時の時代というものを的確に表現しているのではないかと。そして、その人々の哀愁のようなものを代表しているのではないかと思うのです。 さて、歳時記です。今回は高濱虚子編の『新歳時記』についてお話します。 この歳時記はいわゆる辞典的な編集を目的としたものでなく、文学的な作品本位の歳時記であるという点が特徴です。 昭和八年に初版刊行され現代に至っていますが、今でもそのオールドファンは根強く、筆者などもその一人です。 その編集方針は、 ●俳句の季題として詩のあるものを採り、然らざるものは捨てる。 季題自体のことです。そこに詩的なものを存するものを採用したというのです。そうでないものは不採用。 これはあくまで虚子の主観ですね。虚子のお眼鏡にかなわなかったものは捨てられてしまった。 「佐保姫」 「淑気」 なども掲載ありませんが、このあたりはなかなか詩的要素あると思うのですが、どうでしょうか。「姫始」だってありませんよ。 ●現在行われてゐるゐないに不拘、詩として諷詠するに足る季題は入れる。 重複しますが、ここでも詩的要素を繰り返しています。虚子の俳人として詩人としての自信がかいま見えてくるようです。 「傀儡師」なども現代にはない。もう、虚子歳時記の説明文においても、 「昔、新年の巷間に現れて、人形箱を首にかけ、人形を使って人を集め、銭を乞うたもの」とあります。すでに行われなくなっていることの証明です。 ●世間では重きをなさぬ行事の題でも詩趣あるものは取る。 また詩趣です。こんどはやっているけれど重きはおかれていない行事などを指すのです。 節分の夜に厄年の男が行う、「ふぐりおとし」・「厄落」なんかそうですね。実際は褌をどこかに落としてくるそうです。すると、無病息災とか。 そんなの現代やるやついないじゃないかと思われるなかれ。俳人のM・N氏は和服のオシャレで有名ですが、なんと銀座の鳩居堂の前の路上で落としてきたそうです。四丁目の交差点のところですよ。拾った人がいたら、結構災難ですね。疫病招来といったところでしょうか。 ●語調の悪いものや感じの悪いもの、冗長で作句に不便なものは改め或いは捨てる。 そりゃたくさんあります。感じ悪いなんて、なんとまあ主観的な方。客観写生の徒とは思えませんね。 「雀大海に入り蛤となる」(すずめうみにいりはまぐりとなる) 七二候のひとつ。「雀蛤となる」の副題。 当然こんな季題もありません。どちらにせよ長くて、作句に不便であることは間違いありません。しかし、そんなに感じ悪いものでもない。ちょっと可愛らしいし、幼稚園児に絵を描いてもらいたい感じもあります。 ●選集に入選して居る類の題でも季題として重要でないものは削り、新題も詩題とするに足るものは採択する。 これも虚子の自意識の裏打ちを感じます。いろいろな選集などに採択された題でもすべて入れたわけじゃない。さほど重要とは思えないものは、私は削るのだという。 しかし、大切なのはそのあとの新題もそれとしてよければどしどし採用するよということです。 よく、いろいろな方から、 「ホトトギス歳時記」に掲載されていないけど使って良いでしょうか。なぜ掲載されていないのでしょうか。という質問を受けるが、その答えはこの言葉にあります。 虚子は新しい題でも俳句を作ってみたまえ。ただし、どこかの選に入って佳き理解をえられたものじゃないとだめだよと。 それも五年や十年ではだめでしょう。もっと多くの年月と多くの例題が出てきてからのこと。もひとつ言えば、それが例句として取るに足る文学性をもってはじめてのことです。 じゃあ自分が生きている間はだめじゃないの、と言う無かれ。長生きをすれば良いのです。日本はそのために世界一の長寿国になったのですから。 ということで。虚子が歳時記を編纂した指標のようなものがおわかりになったと思います。それによってその歳時記は傍題を入れても数千程度の季題しか入っていません。厳選なのですね。 なかなか優秀な大学の生徒数をしぼったような感じですから、読み物としても面白いわけです。 わけてもこの歳時記の例句がすばらしい。 「露」 もの言ひて露けき夜と覚えたり 虚子 白露に鏡のごとき御空かな 茅舎 蔓踏んで一山の露動きけり 石鼎 このように、文学的な見地から季題を吟味し、その伝統や感じ方、詩としての重さや調べなどのさまざまの要素を厳選したのがこの結果となったわけです。 それは、月別に配したために、吟行会などで外で使うときにはポケットサイズで、その月の前後を参照すれば季題がひけるというメリットがあります。 しかし、その反面、季題の配列は月別にしてもその地域や新旧歴の相違によって、実態と異なることも出てきてしまいます。およそ東京をその基準地にしているようですが、本来の歳時記は京都中心であったりもします。 科学的にはいろいろな齟齬はあるのですが、歳時記というのは、一種の読み物であり、文化財としての要素でありますから、そのあたりの不整合性には目をつむりましょうとのことです。 ちょっと気になるのは、虚子は歳時記を初心者の指針でもあるといってますが、はたして現代の子供達にこのことが通用するのでしょうか。 十二月の異称として、「霜月」「極月」「師走」が同居しているのでは学校では使えません。テレビの天気予報とも食い違ってくる場合が多いと思います。 ここにはより緻密な検討が必要と思われますが、とりあえず歳時記は大人のもののわかった人のものと考えたほうがいいかもしれません。 学究肌でオタク的な若者や中年はこのことを理解したくないでしょう。まして理数系の人たちはこの矛盾を否定するかもしれない。 それは俳人側にも責任があります。 この歳時記を金科玉条のものとして、実生活や社会活動、経済活動にまで踏み込もうとする。筆じいさんが多いことです。 これはグリム童話のようにその物語において完結するのです。 我が流派の俳人で、 「NHKのアナウンサーはけしからん。今日は八月二十日でもう秋なのに、ちょっと気温が下がったら、涼しい昼でしたといいおった」 「秋は、爽やかでないとおかしいではないか」とか、 「あのアナウンサーは秋なのに腰にスェーターを巻いておってけしからん」とか、 「隅田川の言問橋から離れて作句しておったやつが『都鳥』の句を出して居った」など、枚挙にいとまがありません。 あのねえ、歳時記だけで生活できないでしょうが、じゃああなたは電車もバスも使わないで芭蕉の装束で馬で出勤なさっているのですか、と問いたいものです。 そのようなわけで、私としては大なる歳時記にある季題は参考にはなりますが、実用としては厳選されたものでいいのではないかと思います。最近は季語・季題の氾濫ディスカウントストアー状態であるといえます。 その意味では、山本健吉『基本季語五〇〇選』という本は参考になると思います。歳時記的使われ方はしないかもしれませんが、最重要の五〇〇の季題をマスターしておけばいいんだという考えも、一般には最適かもしれません。 俳句を五〇年もやっている人はいっぱしの俳人ですが、伝統的に季題派となって、季題趣味となって季題オタクとなり季題知識ひけらかし合戦に入って行くのです。 するとその俳句のつまらないこと、つまらないこと。 虚子のいう詩としての文学性はどこに行ってしまったのでしょうか。才能の無い俳人ほどその知識にこだわります。 特に、右脳と左脳論議があったころ、右脳がアートなどの創造性を司る部分だという論調にかみついた。それはなにも俳句だけの話ではないのに、自分の右脳をよほど心配してのことなのか、包茎手術をする必要もないのにコンプレックスがある少年のように吠えるのでした。 だから、俳句は伝統で歳時記一冊をそらんじることが優秀の証であるといった大御所も自戒の念を持たねばならない。そして俳句を、より詩的なものにするための座右の書である歳時記を活用し、より愛さねばならないと思うのであります。 |
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