虚子伝来 |
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vol.14 2008/05/08 | |||||
「虚子のおしえからの主観と客観」 |
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「虚子のおしえ」とは言ってもなかなか広範囲で難解な部分もありますな。 そこには「主観と客観」という概念がたびたび出てくる。 主観的とか客観的とかは日常の生活用語の中でも出てくるけれども、現代は少し死語になってやしないか。 現代はどちらかというと、もっとあいまいな境界線になっている。グレーゾーンがあるのだ。そして、より主観的であることが当然のなりゆきであることが多い。 客観的である時代というより、自己表現をたいせつにする主観的感性の時代に入っているのかもしれない。 しかし、「KY」という若者用語がある。その場における「空気読めない」の頭文字をとつたそうだが、なんとも悲しい嫌な言葉だ。 そこに主観というものが抹殺され全体主義というか、悪い意味での客観が入り込んでいる。ましてや若者たちのダイナミズムさえ犠牲にするような、顔色伺い主義は主観的感性の時代においてもほとんどの若者にその才能が無いのかと疑ってしまう。 みんな客観的な人間になっちまう。 ほんとうにそういう意味でも客観視と鳥瞰図をそれぞれみごとに仕上げるのはなかなか難しいのである。 では、そんな時流を超えて虚子の言う、主観と客観という言葉の定義を見てみよう。 ●主観・・・「一念三千」天台宗の真理。日常の一瞬の心の中に三千世界、つまり森羅万象・宇宙存在のすべてが含まれるという考え。 ●客観・・・事物のありのままの姿。宇宙間のあらゆる事物の存在がそのまま真実の姿であること。 辞書で主観と客観をひくとこうなる。 なかなかむずかしく、宗教的な概念なのである。 主観とは、仏教的であってなんだか宇宙理論みたいだ。三千世界というのもすごい。天台宗は大乗仏教の大本山で、歴史的にもあらゆる高僧がいた。そんな真理だからとにかく庶民には縁遠いような気がする。 でもまあそれにすがってみようか、そこにはお釈迦様もいるのだろうから。 簡単に言ってしまえば全宇宙のすべての真理が含まれているというかんじ。そう、あなたの心の中に。 客観とは、もうすこし簡単だけれどもこれもばかでかい。やっぱり宇宙が出てくる。そして、その存在がそのまま真実であるという。 まあ真実は真理と言ってもいいかもしれない。そのような宇宙のすべてがありのままの姿として存在することのようだ。 あれ? となると主観と客観はつまるところ同じようなことを言っているのではないだろうか。普段まったく逆なようなつもりだったけれど、案外似ているのではなかろうか。 主観君「カレーは辛いので好きだ」 客観先生「カレーはインドの食べ物だ」 主観娘「シナチクは色が嫌いだ」 客観主婦「シナチクは茶色だ」 いつも、最初が主観的で次が客観的だと思っていた。 主観・客観教授「カレーはシナチクよりはもっと茶色なので好きだけれど、インドの色みたいで、辛いので嫌いだ。つまり好きでも嫌いでもある」 自分の感情を入れても、その物の情報だけを入れても結局同じ事なのだろうか? そうなんですね。つまるところあなたがカレーが好きだろうが、シナチクが嫌いだろうが、宇宙の存在にとってはなんら意味をなさないわけです。 シナチクがインド産で好きになっても、カレーが中国産で辛くなくなっても、どうということはないのです。 つまり、カレーにはカレーという本質でありのままの真理がある。シナチクにもシナチクの真実の姿がある。これが宇宙を構成するので、客観も主観も表裏一体であるということ。 お釈迦様も犯罪者も表裏一体であるということ。 この存在そのものを描写しなさいと言ったのが虚子であったということ。 えらい、大仰な話になってきたけれども、俳句というのはそのような本質が底辺にあるからこそ簡単なようで、実はむずかしくて深い。 でも、むがかしいと思うのも主観であって、その表裏一体である客観に描写すればまた自ずから易しいものとなる。 禅問答みたいになってきたけれど、つまり心をすずやかに真理に真剣に立ち向かえばすばらしい俳句が出来るようになりますよということである。 この中でとても重要なこと、特に俳句の世界にとって重要なことは「ありのままの姿」ということだろう。 ありのままとはその物の本質の姿。美しいと思うことが、美しいことだとすればそれがありのままの姿である。醜いと思ったらそれがありのままの姿である。 むろんそれは無限大にあるのだが、その作者が美しいと思えばそのありのままの姿を描写すればよい。それすなわち、美しく真理の姿を現してくれるということである。 だから俳句は写生の文芸なのであーる。 虚子はその写生、つまり実際の景色や物をありのままに写しとることを、あるいはスケッチすることを一種類のものとしてとらえてはいなかった。 そこに主観や客観という言葉を使っていろいろな到達点があると考えた。すごい洞察力、あるいはよほど暇だったのだろう。 現代みたいに、3Dやら仮想現実、テレビゲームなんかは身体を動かして画面と戦うような時代になると、こんな主観とか客観とかいうシンプルな概念でくくれなくなってきている。 ただ、逆にこんな時代だからこそそのシンプルな概念で物を見れば案外真実の姿が浮かび上がってくるのではないだろうか。 そして、私の造語も混じっているのだけれども次のような概念を提示した。 第一段階・・・説明客観写生時代 第二段階・・・主観写生時代 第三段階・・・客観描写時代・純客観写生時代 俳句をやってゆく修学時代の順を追うと上のようになるという。 第一段階はおそらく最初の二、三年くらいだろう。第二はその後の時代。多くの人はここまでで終了。第三段階へ到達する人はほとんどいない。 ただ、第三段階への到達というよりその意味さえ理解しておけば良い。その真理への目標さえあれば極楽の文学が開けてくるのだぞよと。 そもそも俳人とは、遊俳とよばれる趣味の俳人しかいなかった。あるいは、業俳とよばれる俳句でめしを食っている俳人を認めない風潮があった。 だから、俳人はべつに第三段階まで行かなくてもよかったのである。楽しく年寄りの趣味として人生を全うすればそれで事足りた。 でもそれでは俳句は二十一世紀に無くなりはしまいか。そのためのこの図式は現代でも生きているのではあるまいか。 では、それぞれの段階の説明と虚子自身の例句をいくつか、 ●説明客観写生時代 対象物を写し取る。心には関係なく花や鳥を向こうに置いてそれを写し取るだけ。スケッチの時代とでも言いますか。 群雀鳴子にとまる朝ぼらけ 虚子 明治二十四年 (十七歳当時子規に示したる初学のころの句) ●主観写生時代 心が動くままに対象物も感じ、自由に色や形を動かすことができる。作者の心を写すことになる。 つまり単なる主観というよりも、より対象物に心を投影する主観。スケッチのカンバスを対象物にあずけてしまう。あるいはそこに心にままの物語を描く。 春雨の衣桁に重し恋衣 虚子 明治二十七年 謡曲「恋の重荷から」・・恋する者はそれだけ重荷を背負うことになる。自分の力で運ぶことの出来ないほどの重荷を背負うことになる。衣桁には恋衣がかかって居る。重い恋衣がかかって居る。雨が降ってをる時には一層重いやうな心持ちがするその恋衣がかかって居る。 ●客観描写時代・純客観写生時代 花や鳥を描くのだが、作者自身を描くのである。主観・客観・肉体の包含の時代。飛躍により新しい天地・宇宙がひらける。つまりそれはぐるりと回って純粋客観写生へと落ち着く。 かなり高度だ。宇宙論みたいだ。 最初に言ったように、ようするにそれによって真理のありのままの姿を描けということだ。ううううむ。 これは得度を受けて千日回峰が必要ですな。ただ、この純客観写生のために写生せよ、写生せよと言っていたわけであって、ここに到達点がある。 写生とはすなわち、真理・真実の姿を具現化するスケッチのスタートでありゴールであったのだ。 桐一葉日当りながら落ちにけり 虚子 明治三十九年 白牡丹といふといへども紅ほのか 大正十四年 一片の落花見送る静かな 昭和二年 虚子晩年の作品から見てみると、 虚子一人銀河と共に西へ行く 昭和二十四年 去年今年貫く棒の如きもの 昭和二十五年 明易や花鳥諷詠南無阿弥陀 昭和二十九年 星一つ命燃えつつ流れけり 昭和三十年 昼寝する我と逆さに蠅叩 昭和三十二年 たらたらとあとしざりつつ春の空 昭和三十三年 来年は又夏山の秋の山 昭和三十三年 幹にちよと花簪のやうな花 昭和三十四年四月五日 どれをとっても、この膨大な俳句人生の説明にはならないし、まだはるかに多くの俳句が存在するのだけれども、この作品の片鱗をみるだけでもなんとなくその色合いが理解いただけるとありがたい。 お気づきの方もいると思われるけれど、第三段階の句とおもわれる俳句が明治三十九年、大正十四年、昭和二年と若い時代にも存在する。 虚子だからだろうか。天才と称された俳人だからだろうか。 否。 そうではない。俳句とはある意味偶然にその到達した名句に巡り会うものなのである。どのような凡夫凡才でも、千句に一句、万句に一句そのようなものが出現するのである。 それこそが俳句の醍醐味であって、楽しみであり極楽往生の快楽なのである。 晩年の作品を見るに、どうも主観的要素が強くなっている。 これはどうしたわけだろう。 虚子は二枚舌の人である。いや千枚舌の人だと思う。それは良い意味で言っている。大衆にたいして俳句というものを到達させるための良き方便と言った方がいいかもしれない。 大衆というものは愚衆である。それはその流れにおいてである。ひとたびものが流行るとそれに雪崩をうつ。あるいは楽な方へ、あるいは華美な方へ、あるいは利己的な方へ。それを戒めるためにこの到達点と修行の段階を設定したのだ。 それによって、俳句を俳句たらしめ、現代のような時代が来ることを予測し、その時に大衆の指針となるものをこしらえた。 というより、私というスポークスマンを利用して発信しようとした。(かなり利己的な自意識ですな) とまれ、虚子の主観的要素の理由にはなっていない。 それは、遊んだからだと思う。 虚子は俳句・俳諧の桃源郷に遊んだのだ。縦横無尽に遊んだのだ。 八十年間もストイックに俳句に生きてきたのだから、許される到達点であった。そして、それは虚子の宇宙にたいする遊びの始まりであったのかもしれない。 爛々と昼の星見え菌生え 昭和二十一年十月 「写生といっても、詩人、特に虚子の場合はそれがきっかけとなって、飛躍して、別の天地を創り出すのである。光のかがやく様である【爛々と】は、【爛々と暁の明星浮寝鳥 虚子(昭和十三年)】の地球上の現実から、この句の場合、宇宙の実在に飛躍していると言える」 『虚子の天地』深見けん二著 この言葉を虚子が聞いたら喜んだだろう。 ところで、虚子がかつて言い出した「伝統俳句」というとこの写生の理論を狭義に解釈して攻撃されやすい。 読んで頂いた方はおわかりになったと思うが、伝統俳句とはすなわち虚子の宇宙論からスタートしたものすごい超現代の産物なのである。 現代俳句は現代の俳句であって、伝統俳句は超現代の俳句なのである。
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