虚子伝来![]() ![]() ![]() |
||||
![]() |
||||
「立派な俳句」 |
||||
世の中には立派な人とそうでない人といる。らしい。 どのような立派な人がいるかというと、立派な建築とか車とかその他もろもろの物質はなんとなくわかるのだが、人となるとよくわからない。 偉人というものも歴史的に存在するから、まあ立派な人であったのであろう。しかし、自分の仕事や興味のない分野の人であると知識としてある程度であまり感動しないこともある。 とかく生活をしていると立派な人とも会っているのだが、気がついていないのかもしれない。あるいは本当にそんな人と会っていないか、自分にとっては立派な人もそうでない振る舞いをしているのかもしれぬ。 かくいう私も鏡で見てみるなら、わりによい男ではあるが立派な顔をしているとも思えない。立派な行為や人格は顔に出ると思うので、ここは反省せねばならないところだろう。 ところで立派な人とそうでない人の差は、結局ここにあてはまる。つまるところ人格のようなものを具有しているかということである。そこもまた難しい、何をしてその格が決まるのかということだ。 学歴や仕事歴で人格が決まることもあるだろう。出自が貧乏で苦労して決まることや、有名なる出自で生まれ持った人格というのもあるだろう。あるいは育った環境がじわじわと人格に形成することもある。努力家で根性があるという、性格の特徴において人格が決まることもあろう。 はたして立派な人が立派な俳句というものを作ることができるか。 立派であるからといって、かならずしも立派な俳句ができるわけではない。しかし、立派でない人よりほんの少し立派な俳句ができるかもしれぬ。あるいは人格の立派なことは逆に俳句の自由なる組成の障害になるかもしれぬ。 ここもまたよくわからない。 結局この俳句と人との関わりにおいて、立派なる人物との関わりはいまひとつ何もわからないということだ。 思うに、立派な人というのは不思議な現象であって、霊長類の人間だけに存在する概念である。動物界に立派な動物とそうでない動物や、その中における個体にしても立派な格を持つのとそうでないのもあまり顕著ではない。 むろん狼の家族やライオンの集団、猿山のボスなど強い雄がリーダーになるが、それすなわち立派な動物格であろうか。立派な雌や長老格もいるだろうに。 自然界では立派なる人格とはあまり役に立たないのではなかろうか。 むしろ人間が社会国家を形成して群れ住むための技術からきているのかもしれない。つまり人格とはその技術や人心掌握に長けている、呪術的なシャーマンのような人間をさすのである。 俳句とはそのようなシャーマンの元で研鑽を積むとうまくなることが多い。 そのシャーマンもうまい俳句を作ったりすることも多い。ただし、それが立派な俳句に昇華していくのかはわからない。 「うまい」というキーワードが「立派」というそれにイコールならば話は簡単である。しかしそうもいかない。うまさは技術や知識に裏付けされて、この人格のような立派さとイコールとは限らないからである。 むろん「へた」であるならば、もっと立派な俳句から縁遠いだろう。しかるに人格を持つ者はうまい俳句により近い位置にいるのはある程度本当だろう。立派なる俳句はともかくとして。 ではうまい俳句とはどのようなものであるのか、 菜の花や城代二万五千石 住吉の絵巻を写し了る春 水に映る藤紫に鯉緋なり 浪人の刀錆びたり時鳥 泥川に小児つどいて泳ぎけり だいぶ、古めかしい句であるがそこそこにうまい俳句である。面白い俳句でもある。でも、たいして心を打つというほどのものでもない。 なんとなく、写生的に捉えているのか、知識にうったえているのかが判然としない。季題を入れているけれども、なんとなく腰の座りがわるい。固有名詞や名詞が入っているが、その効果もてきめんというほどのこともない。 まあ悪くもないが良くもない。 実はこれ、明治三十年時点において夏目漱石が正岡子規にみてもらっていた俳句なのである。 漱石は当時熊本において教師をしていた。例の「坊ちゃん」あたりの時代ですな。あまりご本人の本意とは異なる赴任であったようで、いろいろな不満があったらしい。 だから暇を見つけては、東京は上野の下谷にいた子規先生に俳句を送っては丸をつけてもらっていた。 ここにあげた句はおおむね丸が付かない、たいした句ではなかったものだ。子規もまあプロですから選句の力は当然ある。 あの漱石もなんとも神妙に律儀にいつも句稿を送っていた。でも、この人の格をしてもなかなかうまくいかなかったものと見える。 その中でも二重丸が付いたものは、 人に死し鶴に生れて冴返る ふるひ寄せて白魚崩れん許りなり 菫程な小さき人に生れたし 前垂の赤きに包む土筆かな 西函嶺をこえて海鼠に眼鼻なし など、全体から見れば少数だが、後の漱石の片鱗がちらちらと見える句が出てきている。 「菫」の句は代表句として後世に名が聞こえている。その他のものも残る句として格があるといってもいい。 漱石としてもここに至るまでもそこそこの苦労があった。まだ、小説家としての立身はなく、イメージも持っていなかったころだ。教養はすばらしく、人格はわからぬ。 後の漱石の人格も本当のところはわからぬが、その性格の怜悧さはともかくとして、格が無かったということはいえないだろう。 この世界的な天才をしても俳句というものに試行錯誤があったというのはなんだか愉快で楽しい。それほど俳句のうまさと立派の互換関係はむずかしいのである。 うまい俳句がやがて立派なる俳句に昇華してゆくのにはもうひとつのキーワードがある。それが「良い」俳句である。 この定義もむずかしいのだが、この良き・佳き俳句というものはもっと単純に考えたほうがいいだろう。個人が、ああこれは良い俳句だなと感じればいい。 そのための教養や技術は最小限ですむ。 虚子の著作、というかその語録を赤星水竹居という人がまとめた『虚子俳話録』という本の中で虚子が謂う。 「よい俳句は天から授かるようなものです。あまり苦しんだ時にはよい句はできません、かえってすらすらとできたときによい句が多いようです。」 「無邪気に観ているうちに面白いと思ったところを見つけて、それを文章に書き句に作ると、おのずからすらすらとよい文章や句ができるものです。」 なるほど、ここには「よい」という言葉が出てくる。 虚子は良い句というものを作ろうとしていた。それが立派な句になってゆくことを暗示するかのように。ここには、うまく作ろうとすることを戒めているようにも見える。 「俳句でも文章でも小説でも、感情をそのまま写した作品と知識から出た作品とおのずから二種類あのますが、感情から出た作品は子供の歌のように天籟の妙音を聞くような感じを与えますが、知識から出た作品は老人の講釈を聴くように理屈で筋は立っていても文芸としてはだめです。」 ここに「うまい」俳句がすなわち良い俳句にはなりえない虚子の結論がある。 立派な俳句にもむろんなりえないいくつかの作為的な俳句。その作る方法論は方法ですら必要ないかのごとき。 特に感情という面からいえば、それを肯定している。知識という面を否定している。主観的な俳句というものも肯定している。技術的な俳句を否定している。 良い俳句とはこのように、無我の境地ですらすらと楽しく面白く作ると何かが与えられて良きものになってくる。むろん人間なのだから苦悩の時もあるだろう。しかし、その苦悩という感情にすなおに流されてゆくのも肯定しているかのようだ。 立派なる俳句はこの良き俳句につきるのではないだろうか。 感情というもののレセプターを常に謙虚に天にたいして向けていなさいというのが、虚子の教えであり、私も俳句を作るときにいつも意識するものである。 すらすらと天からそう簡単に授かるものではない。それを授かるためには知識や技術ではなくて、子供の歌のように高らかに天へ心を放てばよいのだ こういうと申し訳ないが、国文学の教授や高校や小中学の国語の先生ほど俳句が面白くなく、良くもない。自身の知識やプライドが邪魔をしているのだろう。 だからといって人格が無いとはいっていない。一度謙遜し謙虚にそして自分の偽らない感情の流れを他人に見せる勇気を持つことをおすすめしたい。 さて、私が選句している『花鳥』という本がある。 ふだんは、花鳥諷詠(?)の写生句が多い。しかし、それらも良い俳句あるいは立派なる俳句になっているのかというと疑問だ。 伝統俳句という流行のような俳句作法にがんじがらめになっているものも多い。「ホトトギス」という結社の影響もあり、その現代進行形を焼き直しをして金太郎飴のような俳句になっているものも多い。 そのような中で、最近とても立派な俳句に出逢った。 今回、「立派な俳句」というものを書く動機付けになったのもその作品に出逢ったためである。 私自身としてもなかなか授からないような俳句を、自身の苦悩の感情を通して、天から授かった作品であったと思う。 その作品は私の心を真摯に打った。 ここにその作品と句評を掲載したい。 あてどなき天蓋として雪の降る 順子 弥陀の手となれず朝雪握りしむ 御僧の足袋ひたひたと慈悲こぼす 「天と地上との情の交歓である。このような作品に出会うことは、過去においても希有なことであった。それは虚子の時代にさかのぼらないとなかったかもしれぬ。茅舎や朱鳥がそれにもっとも近かった。 作者の心情は断崖のようにこの作品の前に聳え立つ。天に届かぬ思い。慈悲を得ようとする苦悩。阿弥陀への渇望。どれをとつても、今の時代の普遍的な伝統俳句として最高峰のものである。読者諸氏はこの作品を「花鳥」に昇華させるべき責任を担っている。作者を超えてこの作品を弥陀の手のもとに献上する義務をも担っている。 俳句の結社がセレモニーなどに明け暮れている時にこの俳句を得た。「花鳥」は先師のことを申すまでもなく、このような作品をひとつの究極として希求してきた結社である。 選者としてのやりがいを感じる。」 |
||||
戻る HOME |