火の歳時記

NO86 平成211013




片山由美子

 
  【火の話】第17回 火焚き屋

  「火焚き屋」とは宮中の番小屋で、夜間火を焚いて警護に当ることからこの名がある。『更級日記』の「竹芝寺」の章には火焚き屋の衛士(えじ)が登場する。竹芝は現在の港区三田のあたりといわれ、作者の菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)一行が上総から都へ戻る途中に通ったところである。蘆や荻が生い茂り、馬に乗った人が持っている弓さえ見えないほどで、紫がはえると聞いていた武蔵野の風情とはほど遠いところであったという。一行をもてなした国司は、この土地の一人の男を火焚き屋の衛士に差し出した。
 男は望んで宮仕えに出たわけでもなく、故郷を遠く離れてきたことを嘆いていた。ある日、御殿の前庭を掃きながら「などや苦しきめを見るらむ。わが国に七つ三つ作り据ゑたる酒壺に、さし渡したる直柄(ひたえ)の瓢(ひさご)の、南風吹けば北に靡き、北風吹けば南に靡き、西吹けば東に靡き、東吹けば西に靡くを見で、かくてあるよ」(どうしてこんなにつらい目にあうのだろうか。故郷の武蔵の国の、あちらに七つこちらに三つと、酒を仕込んである酒壺に浮べた柄杓が、南風が吹けば北へ靡き、南風が吹けば北へ、東風が吹けば西へ、西風が吹けば東へとなびくのどかな眺めを見ることもなく、このような勤めをしているばかりであることよ)と独りごとを言っていた。するとそれを、帝の御女(むすめ)が聞きとめ、御簾のそばまで出て来たのである。いったいどんなふうに柄杓が靡くのであろうかと心を動かされ、その男を近くへ招いた。そして酒壺のことをもう一度言って聞かせよといい、さらに、「我率(い)て行きて見せよ」(私をお前の国まで連れて行ってそれを見せておくれ)ということになってしまった。衛士は恐れ多いことだと思ったが、それも前世からの因縁だったのだろうかと、姫を背負い武蔵の国へと急いで下って行った。
 姫がいなくなったことに気づいた帝と妃は動転し、ゆくえを探していると、武蔵の国から来ていた衛士が連れ去ったという。追っ手を差し向け、ようやく二人を見つけたが、姫は朝廷の使者に向かって「我さるべきにやありけむ。この男の家ゆかしくて、率て行けと言ひしかば率て来たり。いみじくここありよくおぼゆ。この男罪し、掠ぜられれば、我はいかであれと。これも前の世に、この国に跡を垂るべき宿世こそありけめ。はや帰りて、公にこのよしを奏せよ」というのだった。自分から進んでここへやってきたのであり、すみごこちもよい。もし男が罪を咎められ仕置きを受けるようなことになったら私はどうしたらよいのか。前世からの宿縁があってここで暮らすことになったのに違いないので、都へ戻り帝にそう告げてほしい、というわけである。それを聞いた帝は、いまさら男を罰して姫を取り返すこともできないと諦め、姫が不自由をしないよう一国を分け与えることにした。男は、御殿のような家を造り姫を住まわせ、生まれた子どもたちは武蔵の姓を名乗ることになった。姫が亡くなったのちは、御殿を寺に造り替え、竹芝寺と呼んだ。
 ところで、この事件により、火焚き屋には衛士を置かず、女が詰めることになったのである。





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