火の歳時記

NO91 平成211124




片山由美子

 
  【火の歳時記】第42回 火鉢


  うき時は灰かきちらす火鉢かな        青 蘿
 
 火鉢が一般の家庭から消えたのはいつのことだろうか。私が小さかった頃、というのは昭和三十年代の初めだが、洋間のある家などほとんどなかったはずで、食事は茶の間で卓袱台を出してというのがごく普通の光景だった。傍らには、冬は火鉢があり、薬缶がかけられいつもお湯が沸いていた。火鉢の縁には火箸が差してあって、何とはなしに手を伸ばしたくなるものだった。ただ手をかざしているのは手持ち無沙汰で、何度も灰を均してみたりするのである。機嫌によっては掲出句のようなことにもなる。

  金沢のしぐれをおもふ火鉢かな        室生犀星

 こんな物思いの姿が絵になるのも火鉢ならではである。

  手をおいて心落つく大火鉢          五十嵐播水

 外の寒さで心まで萎縮してしまったような時、大火鉢の広い縁に手を乗せているとだんだん落ちついてくる。いま思えば、ストーブなどの暖房と違って、火鉢は手をかざし温まることに専念しなければならない。何か仕事をしながらというわけにはいかず、家族で他愛のない話をしたりということにもなる。

  火鉢あつしギリシャ神話をきかさるる     阿部みどり女

 父親が語り出したのか。大して興味がなさそうな娘はまだ若いのだろう。熱くなりすぎたら灰をかけて少し温度を下げる。炭火というのはけっこう調整がきくものである。

  学問のさびしさに堪へ炭をつぐ        山口誓子

 小さな火鉢ひとつを頼りに毎晩遅くまで勉強を続ける学生。いまでは想像もできないような下宿の一間というところだ。

  死病得て爪美しき火桶かな          飯田蛇笏

 「火桶」というとだいぶ古めかしい印象を受けるが、いい言葉だと思う。「火桶」の火によって温められた手に血の色がさし、爪も色がよみがえったかのよう。当時「死病」といえば結核のこと。病によって透き通るような白さとなった肌が、赤みを帯びた爪を目立たせる。

  火鉢に手かざし倖せくらべあふ        片山由美子

 女どうしが火鉢に手をかざすと、それぞれの生活が何となく伺える。水仕事で荒れ放題の手、昔のままにすらりとした指に高価な指輪をさりげなくしている手というように、境遇を語るものである。火鉢がそんな場面に登場したのもはや昔のこととなった。


 (c)yumiko katayama

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