感動を表現する推敲の仕方
石田郷子  いしだ


第43回 2010/02/02   


  原 句  夕月をかかげ俯く水仙花

 日本に自生する、いわゆるニホンズイセンは冬の花です。俳句では「水仙花(すいせんか)」「野水仙」などとも詠まれます。香りがよく姿も上品です。春に咲く水仙は、別に「黄水仙」「喇叭(らっぱ)水仙」など、春の季語になっています。
 この句は、水仙の花が夕月をかかげて俯き加減に咲いている、と二つの描写で情景を描こうとしています。中七に詰め込んだ言葉にせわしなさを感じます。
 また「夕月をかかげ」というのは、よく考えると比喩的な表現ですし、「俯く」は擬人化したいい方でもあります。こうした表現は安易に多用すると、案外常識的で陳腐になりやすいものですが、この句の場合はどうでしょうか。
 まずは夕月の下に咲く水仙をもっと伸びやかに詠んでみてはどうでしょうか。

  添削例1  夕月をかかげてゐたる水仙花
  
添削例2  夕月に俯いてゐる水仙花

 こうして表現を省いてみると、かえって情景が想像されます。「俯く」という表現を生かすと、どういうわけか作者の心情まで感じられてくるようです。


  

  原 句  冬ざるる芝生の中の草の花

 「冬ざれ」は冬が深まって来た頃の様子。この句のように動詞としても使われます。
 一月、枯れた芝生の中に小さな雑草が萌えだして花をつけていました。その景を詠み止めた句ですが、一読すると「冬ざるる」は「草の花」にかかってきます。ということは、寒さの中に咲いて縮こまった花を描いたことになります。
 もう一度読んでみると「冬ざるる」が芝生を描写していると受け取ることも出来ることに気づきます。そうすると芝生は冬ざれているけれど日溜まりには小さな花がもう咲いている、という意味になります。
 つまり「冬ざるる」で切れるのか、切れないのか曖昧なのです。

  添削例1  冬ざるる芝生の中に草の花
  添削例2  冬ざれの芝生の中の草の花

 これで曖昧さはいくらか消えます。「冬ざれ」をもっとはっきり「冬枯れ」としてもよいと思います。けれど、もっと大きな問題がありました。
 「草の花」といえばよく知られた秋の季語です。どうしても「草の花」というと秋の景を思い浮かべてしまいます。

  添削例3  冬枯の芝生の中に咲けるもの


 水平線

(c)kyouko ishida
前へ 次へ    今週の推敲添削   HOME