神々の歳時記     小池淳一
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2009年11月10日
【31】炉をめぐる感覚

 かつての民家においてイロリ(囲炉裏)は、家族が集う場所であり、団欒の空間であるとともに、暖房や調理が行われるところでもあった。炉開きと云って旧暦の十月の亥の日などに炉に火を入れはじめることに注目するのは、室町時代からの慣習で、とりわけ茶道の発展がそうした季節の進行と炉の火との関係を意識する季語を育んだといえるだろう。
 庶民の暮らしのなかではイロリには季節を問わずに火が生きていたのであった。家屋の中に場合によってはそれを焼き滅ぼしてしまうかもしれないしつらえをするのは、慎重さを要求されただろう。そうした感覚は火そのものに神聖さを付加したに違いない。
 屋内の火はやがてイロリとカマド(竈)とに分かれていったのだが、どちらにもそこに神聖さを感じ、周囲を清浄に保つべきであるという観念は受け継がれた。
 カマドという語を一軒の家の象徴のようにとらえる感覚が東日本では広く見られた。カマドを分ける、というのは分家を出す、ということであった。またカマドケシというのは家運を衰えさせることで、このように蔑称されないように、人は懸命に働いたものだった。この表現はカマドの火と生活のさまざまな場面を連想させる点からも忘れがたい印象を残す。
 イロリの上に鍋をかけるために吊されている自在鍵に魚のかたちをしたものを配するのは、魚が水を呼ぶとして、火の守りの意味があったことを笹本儀一郎が父母に日頃から言われていたことだとして記録している(「障子の穴から大事を見るな―昔からの言い伝え集―」『伊予の民俗』二十二号、一九七六年)。火を統御するためには水が必要だという単純で分かりやすい論理が囲炉裏で物証化されていた。
 イロリは家族が集うとともに来客を迎えるところでもあった。一家の主人が座るところをヨコザ(横座)と呼ぶ地域も広かったが、この座を主人が譲るということは滅多になかった。「ヨコザに座るのは猫、馬鹿、坊主」というのはそうした事情を示している。イロリのヨコザを主人以外が占めるのは葬式の際に招かれる僧侶と何もわからぬ猫くらいだというのである。イロリでは、通常の客をもてなすヨリツキなどと呼ばれる客座も決まっていた。
 座敷をそれぞれの家が持つようになる以前には、こうした客人をもてなす場がイロリの周囲であったとともに、家の平安を守り、家族を見守る神仏もイロリのある部屋に祀られていたことは重要である。
 有賀喜左衛門は「いろりと住居」(『村落生活』、一九四八年)のなかで、イロリやカマドの神は、単純に火の神ではなく、家そのものを守る神として存在するのであり、遠隔地から神札やそれに類するものを貰い受けてきても座敷ではなくイロリのある部屋に神棚を作って安置してきたことに注意すべきだとする。イロリの神は、家の繁栄をつかさどるあらゆる神を統合する位置を占めていたのである。
 学生時代に栃木県の山間の旧家を尋ねたことがある。その家では夏の盛りでもイロリに火が熾きており、かなり高齢の主人に迎えられたことを思い出す。数時間に及ぶ聞き書きを終えて帰ろうとすると、その主人が両手をついて学生に対しては不相応なほどの丁寧な挨拶をしてくれた。別れ際に告げられた「お静かに」という言葉は、祈りのように響いたことが今でも忘れられない。旧家に積み重ねられた長い時間が、その家の主人とイロリの火に凝縮している、そんなことを感じた一瞬であった。
 
 


  高山と荒海の間炉を開く   渡辺未灰




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