神々の歳時記     小池淳一  
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2010年12月15日
【58(最終回)】歳神の素姓と姿

 新しい年の訪れを民俗信仰の観点から考えると、古い時間を司った神が退き、新しい神が訪れるということになる。その歳神はどのような姿でどういった性質を持っているのだろうか。新しい時間の神というだけではあまりに抽象的でわかりにくい。
 年末から小正月、すなわち十五日あたりまでの各地の正月行事をみていくと、多様な神の姿が伝えられてきたことがわかる。そのなかで、注目すべきものを取り上げながら、歳神の素姓について考えてみよう。
 香川県長尾町多和では歳神様のお迎えが新年の行事として意識して伝えられていた。小島博巳の指導によるノートルダム清心女子大学の学生たちの調査によると、元旦の若水を汲んだあと、床の間と神棚にろうそくをともし、玄関先の松明を焚き直して、家の主人が門先まで正月の神を迎えに行くという。この時に「お年月の神さん、今年も早々にお出でていただいてありがとうございます。ただ今から主と息子がかがり火たいて迎えにまいりました。」と言い、白扇を目上にあげてそのまま床の間までいく。この扇子の上に神が乗っているのだと考えられている(「聞き書き香川県長尾町多和の伝承」『生活文化研究所年報』第九輯、一九九五年)。
 こうした調査では、同じ四国の徳島県板野町大坂でも類似の聞き書きが得られている。同地の東谷では大晦日の夕方に家の代表が羽織袴の正装で神社に歳神さんを迎えに行き、提灯を持って「オンシュウメイハラリヤソワカ」と唱えながら迎えたという(「聞き書き徳島県板野町大坂の伝承」『生活文化研究所年報』第一三輯、二〇〇〇年)。
 正月の神を迎えるにあたって正装をし、火をわざわざ灯したりする点に古風な伝承の趣を感じることができる。大晦日から新年にかけての時間にわざわざ家の前で火を焚く習慣はごく近年まで、実際には行わないにしろ、古老の記憶のなかに生きている場合があった。私も青森県下北半島の山中の村で「ご先祖様を暖める」ために昔は大晦日に家の前で火を焚いたものだ、と述懐してくれた古老に出会ったことがある。
 単純に結びつけることはできないが、こうした火をめぐる伝承から盆行事との共通性を見いだすことができるかもしれない。だとすると歳神が先祖の霊魂のかたちを変えたものだと推察することも許されるのではないだろうか、というのが民俗学の伝統的な見解である。
 しかし、それだけではなく年末から新年にかけてはもっと恐ろしい、扱いに慎重でなければならない存在が訪れると考えられていた地域も少なくない。有名な秋田の男鹿半島のナマハゲや山形県遊佐町のアマハゲ、岩手県三陸町のスネカなどは異形の姿で家々を訪れ、子どもや嫁などに訓戒を与える存在であった。必ずしも正月行事ではない場合も多いが、神の来訪によって新しい時空が開かれるといった感覚がかつてはあったようにも思われる。
 山形県山形市の立石寺周辺では「厄神の宿」と呼ばれる行事が行われていたことに丹野正が注目している。この行事は大晦日の晩に家の主人が正装をして橋のたもとや村境に出かけて行き「厄病の神様、早かったなす。…どうか、おら家さござってけらっしゃい。」と声をかけ、家の奥座敷にまで丁寧に案内をするというものである(「厄神の宿」『民間伝承』一六巻一二号、一九五二年)。丹野によると同県新庄市では、小正月の晩に入浴して身を清めた主婦が、やはり家の入り口で火を焚き、「福の神様、これよりお入りください。福の神様、よくござりました。」と言って福神を迎える家もあったという。
 厄神は丁寧に歓待することによって、悪しきことをせずに、その家を守るようになるのであろうと考えれば、福の神を迎える心意とそう大きな差はないとも言えるだろう。歳神の根源に祖霊の要素がある一方で、新しい時間を幸福なものにしようとして、神々を迎える演劇的な所作が形作られてきたのかもしれない。そうしたなかでナマハゲのような恐ろしげな姿も登場してきたのであろう。

   年棚やみあかしあげて神いさむ   村上鬼城




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『神々の歳時記』のとじめに
 二年にわたって連載してきた『神々の歳時記』は今回で、とじめとさせていただく。短からぬ期間にわたってのご愛読に心より感謝申し上げたい。
 できればそう遠くない時期にまたテーマを変えて、民俗と季語との接点を探る作業をまた始めたいと思う。このホームページ上で再び、お目にかかれるのを楽しみにしている。長い間どうもありがとうございました。
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小池淳一(こいけじゅんいち)
国立歴史民俗博物館准教授。
著書に『伝承歳時記』(飯塚書店)、『陰陽道の講義』(共編、嵯峨野書院)など。









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