|
||||||
まずは筑美の句についての選評です。 ☆ねねは「春の夜の大口あいたペンケース」を特選にとりました。「大口あいたペンケース」っていう表現が分かり易くて面白いし、見たままをちゃんと言っている感じがしました。「春の夜」の季語も効いていると思います。受験生のつうが夜中に勉強している感じが良く出ていると思いました。2番目は「青天の平たく咲いた白椿」で、これも俳句っぽくて、「平たく咲く」っていうのがねねにはちょっとイメージしづらかったんだけど、その「白」さが平面的に見えるのかなって思って、「青天」の「青」との色のコントラストも鮮やかで、これをとりました。あと、「三毛猫と小かげに落ちた白椿」も面白かったんだけど、ちょっと詰め込みすぎた感じもしました。今回のつうの句は全体的に面白くて、俳句っぽくなっていると思いました。(ねね) ☆ままいの特選は「春の夜とぐろを巻いた皮ベルト」です。「春の夜」なので、蛇の皮ではないんだろうけれどこの「皮のベルト」が生き返ったようでもあり、別に実景を そのまま詠んだだけでもあるので、あとはこちらが勝手にあれこれ想像できて、俳諧味もあって面白いんじゃないかなと思いました。ねねが特選にとった「春の夜の大口あいたペンケース」や、「風に舞うあんずの花をまとう猫」も良かったと思います。「腕たらすおりづるらんは春休み」も、あの垂れ下がった様子を「腕たらす」って表現して、そこに「春休み」を持って来たところもなかなか良かったなあと思いました。あと「夕暮れの頭寄せ合うヒヤシンス」は、もしかして「ヒヤシンス」じゃなくて「シクラメン」じゃないかと思うんだけど…。これでしょう? (ままい) ★そうそう、それ。「シクラメン」だあ。失敗しちゃったあ。(つう) ☆ままいはたぶん「シクラメン」だろうなっては思ったんだけど…。「シクラメン」だったらとってたのにね。(ままい) ★残念。「ヒヤシンス」ってどういうんだっけ? (つう) ☆水栽培なんかするやつ。ピンクとか紫とか、小さい花が固まって咲くやつ。でも、ねねも言ったように今回の句は、素直で俳諧味もあって、全体的に俳句っぽくて良いなと思いました。(ままい) ★おとうは「三毛猫の小走りでくる春の昼」をとりました。平凡な句かもしれないけど、ままいやねねも言っているように、素直で良いんじゃないかと思いました。「小走りで来る」なんていうのはしっかりと対象を見てるしね。それから、さっきの「夕暮れの頭寄せ合うヒヤシンス」をおとうはとりました。「シクラメン」じゃなくて「ヒヤシンス」の方がかえって良いんじゃないかな。「シクラメン」だと当たり前かもしれない。「ヒヤシンス」だって、一本だけの水栽培じゃなくて、露地植えのもあるでしょう。ちょっと曲がって伸びちゃったやつが隣の花と「頭寄せ合う」こともあるでしょ。「夕暮れ」ってのがなかなか泣かせるんじゃないかな。今日はつうのは一杯とったんだけど、「風に舞うあんずの花をまとう猫」は「風に舞う」があるから、「まとう」まで言わなくてもいいんだろうけど、でも実景を上手く切り取っていていいんじゃないかな。(おとう) ★これは、この間おばちゃんが来た時に見せた句の中の特選だったんだよ。「素敵じゃない」って言ってたよ。(つう) ★つうは今回だいぶ前から作り溜めてたから、良いのができたんじゃないかな。それから「春の夜の大口あいたペンケース」もとりました。ねねも言ったけど「大口あいた」が面白いよね。これはいわゆる擬人法ってやつだけど、今回は比喩表現も上手く使ってるよね。「春の夜とぐろを巻いた皮ベルト」もそうだね。これは暗喩だよね。「とぐろを巻いた」の後に「ような」が省略されている。結構高度な比喩表現だよね。言われてみるとなるほどなっていう比喩表現が良いんだよね。これは比喩表現じゃないけど「電話鳴る父は留守です春の昼」も面白いね。「父は留守です」っていう口語表現が「春の昼」の長閑さ・明るさにピッタリと合っているよね。それに「壁につく昼は静かな雨蛙」もとっちゃいました。これも素直にしっかりと見て、しかも面白いところを捉えたよね。「雨蛙」っていうと鳴いてるところを詠むけど、「静かな」はつうの発見だよね。「壁につく」がちょっと生な表現なのかな。「青天の平たく咲いた白椿」は「青天」が効いてないのかな。(おとう) ★これは家の中にあった椿だから、本当は違うんだよね。「平たく咲いた白椿」が先に出来て、あとは何を付けようかなって考えて「青天」になっちゃった。そのまま「玄関の」の方が良かったかな。(つう) ★それはそれでどうかな。まあじっくりと考えてみよう。「三毛猫と小かげに落ちた白椿」の「小かげ」はそのまま「小さな影」ってことでもいいんだけど、「三毛猫」と「白椿」がその「小かげ」にあるわけだよね。だとしたら、「小かげに三毛猫と白椿」だよね。これも宿題だね。「腕たらすおりづるらんは春休み」は、「春休み」が合ってるかどうかだよね。(おとう) ★腕を垂らしたようにだらだらした感じだったから「春休み」にしたんだけど…。(つう) ★そこが、「春休み」だからだらだらと「腕たらす」って、理屈っぽくつながっちゃうのかもしれないね。もっと良い季語があると思うな。これまた考えてみよう。(おとう) 続いては、ねねの句です。 ★つうは、特選に「春眠の猫のあくびのうつりたり」を、もう一句は「半そで長そで散らかっている薄暑」をとりました。「半そで長そで」の句は、衣替えの様子がそのまま見えるようで良いんですが、リズムが余り良くないので特選にはなりませんでした。「春眠」の句は、うちのミケも、つうが見に行くとわざわざ見せつけるように欠伸をするみたいなとこがあって、その感じが良くわかるので特選にとりました。(つう) ☆ままいは「緑陰を抜けて目的地は間近か」が特選です。何を言うというわけではないのですが、その雰囲気が好きでした。あとは「馬の鼻つついて春の日差し受く」「置かれたるように蒲公英咲いて曇り空」をとりました。「馬」の句は、ねねがいつも馬の世話をしていることを知っているのと知らないのとでは違うのかもしれませんが、知っていると余計に良く分かるし、ほのぼのとした感じが良いと思います。「蒲公英」の句は、「置かれたるように」がちょっとどうかなとは思いますが、でも実景の写生をしているということでとりました。(ままい) ★おとうも特選はままいと同じです。「緑陰」の感じが良く出ているような感じがするのでとりました。「目的地は間近」で、目的を持ってその「緑陰」を突き抜けて行くっていう力強さっていうか、明るさ、前向きな様子が、いかにも「緑陰」にピッタリな感じがするんだよね。これはしっかりと出来てるんじゃないかな。(おとう) ☆ちなみにこの「緑陰」は日光街道です。(ねね) ★「馬の鼻つついて春の日差し受く」は、これもいいんじゃないかな。この「日差し受く」は、ねねでいいんだよね。(おとう) ☆どっちでもいいんだけど…。(ねね) ★そうだよね。そのあたりがやや曖昧なのかな。普通に読めば作者が「日差し受く」になるんだろうけれど、かえって「春の陽差しを受けている馬の鼻をつついた」ことだけを言った方がいいんじゃないかな。そうすればもちろん作者も春の陽射しを受けているわけだし…。「置かれたるように蒲公英咲いて曇り空」は、これはいわゆる明喩表現の句だね。「何とかのように」とか、「何とかのごとく」なんてのがそうだよね。この句も「置かれたるように」の比喩が効いていると思う。ただ、そうすると下五は「曇り空」じゃない方がいいのかな。字余りもちょっと気になるし…。(おとう) ☆おとうが時間をくれなかったから…。いろいろ考えたんだけど、時間がなくて…。(ねね) ★宿題ということで…。それから「半そで長そで散らかっている薄暑」もまあまあいいんじゃないかな。実景がしっかり切り取られているし、「薄暑」の季語も効いているんじゃないかな。(おとう) ☆ねねのアパートの実景でして。ただ散らかってるだけなんだけどね…(笑)。(ねね) ★「春眠の猫のあくびのうつりたり」は、「春眠」だと「あくび」が平凡になっちゃうのかな。季語を替えれば「猫のあくびのうつりたり」は面白いと思うよ。「新しき五月幟のはためきて」も、「はためきて」が当たり前なのかな。以上です。 続いては、ままいの句です。 ★つうの特選は「口閉ぢて箱にをさまる鯉のぼり」です。この句の「口閉ぢて」が好きでした。鯉幟っていうと大きな口がすぐ浮かぶんだけど、そうじゃなくて、仕舞われる口を閉じている鯉幟に惹かれました。並選は「灯り消して部屋いつぱいに牡丹の香」で、この句は分かり易いし、視覚のないところで「部屋いつぱい」の香を感じているところも好きでした。でも、最後の「牡丹の香」はあまり好きではありませんでした。(つう) ☆それは、つうが牡丹の匂いが嫌いだからじゃないの(笑)。(ねね) ★そうじゃなくて、特に「牡丹の香」の「か」の音が気になったんです。(つう) ☆ねねも特選はつうと同じで「口閉ぢて箱にをさまる鯉のぼり」です。口を閉じられてしゅんとしている感じと、実際に空で泳いでいた元気いっぱいな感じとのギャップが面白くて、つうと同じように「口閉ぢて」が良くてとりました。並選は「埃かぶつて旧道沿ひの花菖蒲」と「保護色を決め込む猫よ聖五月」で、「花菖蒲」はねねの中ではなんかちょっと色褪せたような、あまりパッとした感じではないイメージで、寂しい感じが似合うんだけど、そんな感じが良く出ていたのでとりました。「猫」の句は…、何か好き(笑)。(ねね) ★「聖五月」が分かんない。(つう) ★「聖五月」っていうのは、もともとはカトリックで「五月」のことを「マリア月」とか「聖母月」とか言っていたのが、俳句の中でも使われて「聖五月」になったようだけれど、何か「五月」の爽やかな感じがより強く表れているような感じもする季語だね。(おとう) ☆何だろう、良く分かんないんだけど、「保護色を決め込む猫よ」ってバッサリと言い切ったところが好きで、これは勢いでとりました。「新緑の工業団地風少し」は、悪くもなく良くもなく、「灯り消して部屋いつぱいに牡丹の香」は、視覚から嗅覚への変化はいいんだけどリズムが好きじゃなかった。(ねね) ★おとうは「万緑の中鋭角に道曲がる」を特選にとりました。「鋭角に道曲がる」がリアルだし、「鋭角」から道の白さがイメージされて、「万緑」の季語も色彩的にも効いていると思いました。次は「灯り消して部屋いつぱいに牡丹の香」で、「消して匂う」っていうのは良くあるパターンなんだけど、他のがあまり良くなかったので…(笑)。でもまあ「牡丹の香」らしいかなとは思いました。「新しき道にひよろりと花水木」は、「新しき道」が結構いいんじゃないかな。つうとねねがとった「口閉ぢて箱にをさまる鯉のぼり」は、これもけっこう良くあるパターンかなって…。(おとう) ★でも、つうは好きだー(笑)。 ☆ねねは好きだー(笑)。 ★それはそれで…(笑)。「新緑の工業団地風少し」は、ねねと同じで悪くもないし良くもないし…。(おとう) ★つうは好きだー(笑)。 ★「風少し」の「少し」が良くないのかな。「埃かぶつて旧道沿ひの花菖蒲」は、句材としてどうなのかなって感じかな。「埃かぶった花菖蒲」って、詠んでもどうなのかなって…。見ても感動しないよね。それに「旧街道」の「旧」も重なる感じだし…。(おとう) ☆感動っていうんじゃなくって、「埃をかぶってる」ところに親しみを感じて作ったんだけど…。(ままい) ☆何か愛らしい感じもするしね。(ねね) ★そうそう、さっきねねが言った地味な寂しい感じって花菖蒲はしないんじゃないかな。花菖蒲ってポッタリとしてて結構豪華な感じだけどね。もしかして「アヤメ」と勘違いしてるんじゃないかな。(おとう) ☆アヤメや杜若は小振りでスッとしてて日本的な感じだけどね。(ままい) ☆そうかもしれない。じゃあ「旧道沿ひの杜若」ってのはどう…(笑)。(ねね) ★「保護色を決め込む猫よ聖五月」は、「保護色を決め込む」は面白いんだけど、分かるようで分かんないんじゃないかな。(おとう) ☆「ボン」のことなんじゃないの。(ねね) *「ボン」とは良くやってくる雄のトラ猫のこと。 ☆そうそう。何か土の上でもコンクリートの上でもペッタリと寝ころんでると分からないくらいで…。(ままい) ★もちろんよく見ている我々には分かるけど、一般的にはどうなのかな。(おとう) ★つうは「聖五月」も分かんなかったし、迷彩色みたいな猫が「マリア様」って言ってるみたいな感じで…(笑)。(つう) ★分かっている人には良く分かるけれど、それが一般的に通用するかどうかっていう、そのあたりが難しいところかな。(おとう) 最後に、おとうの句です。 ★つうは、特選に「惜春の駅階段に膝鳴らす」をとって、並選には「土ふかと踏めば野薔薇の匂ひ出す」をとったんだけど、今日は順番に全部について言いたいと思います。まず最初の「蓬餅千切れば鳶の空晴るる」は、急に「鳶」が出てきたので何なのかなって思って…。(つう) ★これは伊豆で作ってきた句だから…。(おとう) ★「蓬餅」って今日食べたやつじゃなかったんだ。それから、「春浴衣開け坊ちやん団子食ふ」は、「坊ちやん」が「団子食ふ」って、いったい誰って感じで…。(つう) ★これは松山の道後温泉で作った句で、夏目漱石の「坊ちやん」だよ。「坊ちやん団子」ってのが有名なんだよ。(おとう) ★そうなんだ。でも、言われないと分かんないよ。やっぱり「坊ちやん」が食べてるよ(笑)。(つう) ☆ねねも「坊ちやん」が「団子食ふ」んだと思ってた。「浴衣はだけ」てってどんな「坊ちやん」なんだろうって…(笑)。(ねね) ☆つうは、おとうのお土産で「坊ちやん団子」は食べたじゃない(笑)。でも、「坊ちやん団子」にカギ括弧でも付けておけば良かったかもね。(ままい) ★まあ、一般の人には「坊ちやん団子」で分かるんだと思うけどね…。(おとう) ★それから、「山頭火上りし坂の春闌る」は、「山頭火」もあんまり良く分かんないし、「上りし坂」も分かんなかった。「蛙田の闇の分厚くなりにけり」は、「蛙田」ってのは「蛙のいる田圃」のことでいいのかな。(つう) ★うん。蛙がいてケロケロ鳴いてる田圃のこと。(おとう) ★「闇の分厚くなりにけり」がなんか分かるようで分からなかった。「金雀枝のつんつく咲きも晴れ三日」は、なんか「つんつく」が嫌だったかなあ…(笑)。だから、こういう感じの中だと、「惜春の駅階段に膝鳴らす」が一番分かり易かったし…。(つう) ☆えっ、つうはそれが一番わかりやすかったの。分かりづらいと思うんだけど…。(ねね) ★そうかな。駅の階段で膝がカクカク鳴ったんでしょ。(つう) ☆ねねは「惜春」の言葉自体は分かるけど、それがこの「膝鳴らす」とどう繋がってるのかなってのが良く分かんなかった。(ねね) ★つうも説明するのは難しいけど、何か分かるような感じがしたんだけど…。膝が鳴って、何だか分かんないけど、その時に、ああ春が終わっちゃうんだなあって思ったてことなんでしょう。おとうも年を取ったなあって…(笑)。それと「土ふかと踏めば野薔薇の匂ひ出す」はこれは家の庭でしょう。ああ分かるなってことでとりました。(つう) ☆ねねは、その「土ふかと踏めば野薔薇の匂ひ出す」を特選にとりました。やっぱり一番分かり易かったので…。並選は「蓬餅千切れば鳶の空晴るる」で、これは「空晴るる」と「蕨餅」の爽やかな感じがしっくり来たのでとりました。「蛙田の闇の分厚くなりにけり」は、「分厚くなりにけり」が何か妙に好きでした。つうは良く分かんないって言ったけど、ねねも分かるわけではないんだけど、何かね感覚的なところで共感して、面白かったのでとりました。でも、さっきも言ったけれど、「坊ちやん団子」は本当に「坊ちやん」が「団子食ふ」んだと思った。だから、浴衣がはだけてる坊ちゃんって、何か馬鹿っぽいなって…、坊主頭でちょっと太っててって、かなりリアルに絵は浮かんだんだけど…(笑)。だからよけいに、おとうが何でこんなのを作ったんだろうと思いました。「山頭火上りし坂の春闌る」は、「春闌る」がどうなのかが良く分かんなかった。(ねね) ★「山頭火」って何? (つう) ☆俳人の名前、高校の授業にも出てきたんじゃない。(ままい) ★漂泊の俳人ってやつで、おとうたちが作ってるのは季語があって五七五でっていう有季定型の句なんだけど、山頭火のは自由律っていって、五七五の形とか季語とかには捕らわれない句なんだよ。たとえば「分け入つても分け入つても青い山」とか、「鉄鉢の中へも霰」とかね。松山にも住んでいたんだよ。(おとう) ☆「惜春の駅階段に膝鳴らす」は、さっきもつうが言ったように、ちょっと年寄り臭いかなって…(笑)。でも、今日のおとうの句は嫌いっていうのはなかったかな。まあ、「つんつく」がちょっと引っかかったけど…。(ねね) ☆ままいも特選はねねと同じで「土ふかと踏めば野薔薇の匂ひ出す」で、「土ふかと踏めば」が上手いなあって…。それにこれは家の庭のだなってすぐ分かったので余計に良かったのかもしれません。ままいもその野薔薇を切って挿そうかと思って近くまで行ったんだけど、熊ん蜂がブンブンしていてちょっと近寄れなくて…。でも、「ふかと踏む」は、ままいもその時に実感しました。あとも旅行以外のを取ったんですけれど、「蛙田の闇の分厚くなりにけり」は、「闇の分厚くなりにけり」が言いたいところなんでしょうが、私としてはそこまで効いているなとは思いませんでした。「金雀枝のつんつく咲きも晴れ三日」も「つんつく」が言いたかったんでしょうが、作者が意図したほどには響いて来なかったんでしょうね。やっぱり家で作った句は分かるっていうこともあるのかもしれません。(ままい) ★それって、おとうばっかり旅に行って、っていう恨みだったりして…(笑)。(つう) ☆そうかも(笑)。でも、寛容なままいとしては旅行の句もとろうと思ったので…(笑)、やっぱり旅を意識して作るっていうのは難しいなって思うんだけど、「坊ちやん団子」はままいも貰って沢山食べたので、これをとりました。(ままい) ☆旅への恨みはお土産で晴らすってこと…(笑)(ねね) ☆そういうわけではないんだけど…。(ままい) ★まだチャラじゃないってこと…(笑)。(つう) ☆そうかも…(笑)。でも、「坊ちやん団子」もままいは分かったし、これはまあ出来てるのかなって思ってとりました。以上です。(ままい) ★ありがとうございました。以上で終了です。(おとう) 最後に念のため、前回の作品を採録しておきました。 春浴衣 山頭火 土ふかと踏めば野薔薇の匂ひ出す 直美(通称:おとう) 口閉ぢて箱にをさまる鯉のぼり 新緑の工業団地風少し 埃かぶつて旧道沿ひの花菖蒲 灯り消して部屋いつぱいに牡丹の香 保護色を決め込む猫よ聖五月 新しき道にひよろりと花水木 万緑の中鋭角に道曲がる 由美子(通称:ままい) 馬の鼻つついて春の日差し受く 置かれたるように 春眠の猫のあくびのうつりたり 緑陰を抜けて目的地は間近か 半そで長そで散らかっている薄暑 新しき五月幟のはためきて 琴美(通称:ねね) 青天の平たく咲いた白椿 三毛猫と小かげに落ちた白椿 夕暮れの頭寄せ合うヒヤシンス 風に舞うあんずの花をまとう猫 三毛猫の小走りでくる春の昼 春の夜の大口あいたペンケース 腕たらすおりづるらんは春休み 春の夜とぐろを巻いた皮ベルト 電話鳴る父は留守です春の昼 壁につく昼は静かな雨蛙 白シャツの腕まくったら白い腕 筑美(通称:つう) 被災地ではまだまだ遅々として復興も進まぬ中、梅雨に入りまたまた新たな問題も起きているようです。 何も出来ない非力さばかりを感じる毎日ではありますが、俳句を通して少しでお役に立てることが出来ればと願いながら、一日一日を大切に過ごそうと思っています。 皆様、十分にお気を付けてお過ごし下さい。 それでは、またお会いいたしましょう。 |
||||||
戻る HOME |