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残暑いま滝見ゆるまで階のぼる 滝つ瀬はそこに秋風橋に満ち 水煙を浴ぶる滝つ瀬晴れて秋 楼門を潜る 地蔵直立水引の紅八方に 初秋の蜥蜴一歩目高く上げ 滝壺に鯉の集まる寺の秋 思惟仏の 山門の十六羅漢秋澄めり 釈迦堂の如来の視線秋の寺 鐘一撞きぐおんぐおんと秋の昼 水引の左に右に遊歩道 眼下なる滝ごうごうといふばかり なだれ落つ吹割の滝時超えて 午後よりは時々日射す女郎花 回廊の続きし先に滝現るる 由美子(通称:ままい) バックミラーの父の目四角く秋の旅 かなへびやすぎごけするりすりぬけて 羅漢像眺めて山門秋の風 夏果つる一心不乱に川は落つ 鬼やんま地を這うように前進す 砂壁をなぞりて今日の宿は秋 右から左へ秋蝉の声突き抜ける 全身を覆う鐘の音空は秋 琴美(通称:ねね) 参道の低空飛行のオニヤンマ 秋の旅山と目線を合わせつつ 三毛猫の耳だけ見える秋の朝 すぎごけにきらりと光るるりとかげ 参道の大の字で寝るアブラゼミ 蓮の葉の水滴ころがす父と姉 秋の山木の根が岩にくい込んで ガブガブと水飲む滝壺秋暑し まちまちの階段登る秋はじめ くつ脱ぐと親指見えてる秋の旅 水はねる芝生を歩く秋の旅 筑美(通称:つう) 結果は次の通りです。 直美選 ◎午後よりは時々日射す女郎花 由美子 ○山門の十六羅漢秋澄めり 由美子 ○釈迦堂の如来の視線秋の寺 由美子 ◎右から左へ秋蝉の声突き抜ける 琴美 ○バックミラーの父の目四角く秋の旅 琴美 ○夏果つる一心不乱に川は落つ 琴美 ○全身を覆う鐘の音空は秋 琴美 ◎三毛猫の耳だけ見える秋の朝 筑美 ○参道の低空飛行のオニヤンマ 筑美 ○秋の山木の根が岩にくい込んで 筑美 ○ガブガブと水飲む滝壺秋暑し 筑美 由美子選 ◎楼門を潜る蜻蛉の道見えて 直美 ○滝つ瀬はそこに秋風橋に満ち 直美 ○地蔵直立水引の紅八方に 直美 ○初秋の蜥蜴一歩目高く上げ 直美 ○滝壺に鯉の集まる寺の秋 直美 ◎全身を覆う鐘の音空は秋 琴美 ○夏果つる一心不乱に川は落つ 琴美 ○鬼やんま地を這うように前進す 琴美 ○右から左へ秋蝉の声突き抜ける 琴美 ◎秋の旅山と目線を合わせつつ 筑美 ○三毛猫の耳だけ見える秋の朝 筑美 ○秋の山木の根が岩にくい込んで 筑美 ○まちまちの階段登る秋はじめ 筑美 ○くつ脱ぐと親指見えてる秋の旅 筑美 琴美選 ◎初秋の蜥蜴一歩目高く上げ 直美 ○楼門を潜る蜻蛉の道見えて 直美 ○思惟仏の右手ほつそりとして初秋 直美 ◎釈迦堂の如来の視線秋の寺 由美子 ○鐘一撞きぐおんぐおんと秋の昼 由美子 ◎三毛猫の耳だけ見える秋の朝 筑美 ○秋の旅山と目線を合わせつつ 筑美 ○参道の大の字で寝るアブラゼミ 筑美 筑美選 ◎滝つ瀬はそこに秋風橋に満ち 直美 ○残暑いま滝見ゆるまで階のぼる 直美 ○水煙を浴ぶる滝つ瀬晴れて秋 直美 ○楼門を潜る蜻蛉の道見えて 直美 ◎水引の左に右に遊歩道 由美子 ○眼下なる滝ごうごうといふばかり 由美子 ◎夏果つる一心不乱に川は落つ 琴美 ○羅漢像眺めて山門秋の風 琴美 ○全身を覆う鐘の音空は秋 琴美 選句の後はいつものように、それぞれの句について、みんなで意見交換をしました。 まずは「つう」の句についての選評です。 ☆ねねは、「三毛猫の耳だけ見える秋の朝」を特選にしました。猫が草に潜んでる感じが、草のことは言っていないんだけど伝わるし、その潜んでる感じと「秋の朝」の季語がよくマッチしていると思いました。「秋の旅山と目線を合わせつつ」は、分かるようで良く分からない句なんだけど、「山と目線を合わせる」という感覚が好きだったので取りました。「参道の大の字で寝るアブラゼミ」は、これは死んでいる、或いは死にそうな蝉だと思うので、「大の字に寝る」でいいのかなとは思いましたが、そのチャレンジ精神を買いました。「まちまちの階段登る秋はじめ」は面白いんだけど、ねねは登ったから、その段の高さが「まちまち」だったって分かるけど、他の人にはそれが分からないんじゃないかなって思ったので取りませんでした。(ねね) ☆ままいもねねが特選に取った「三毛猫の耳だけ見える秋の朝」はとても好きなんですが、これはこの旅行の句ではなくて、我が家のことだと思ったので、敢えて特選にはしませんでした。きっと、ミケ(我が家の野良猫)が段ボールの箱の中に入ってて耳だけ見えてる情景だと思うんですが、それが良く分かるし、ねねが言ったように季語も効いていて、とても好きな句です。そんなわけで、特選に取ったのは「秋の旅山と目線を合わせつつ」で、旅に来て回りの風景を楽しんでいる様子を「山と目線を合わせる」って表現したところが上手いなって思いました。「秋の山木の根が岩にくい込んで」は、見たままを本当に正直に言っていていいんだけど、そこに作者らしさっていうか、独自の見方が加わるともっといいんだろうな。「まちまちの階段登る秋はじめ」は、ねねと同じで、このままだと「まちまち」が分からなくって、みんながあっちこっちバラバラに階段を登ってるのかなって思って、それはそれで面白いんだけど、段差の方がもっと良いのかな。これはもっと良くなるだろうという将来性を買いました。「くつ脱ぐと親指見えてる秋の旅」は、ちょっと可愛らしい感じで、今日の一日の旅が終わった、本当はそうではなかったのかもしれないけど、そんなホッとした感じがあって、俳諧味もあって良かったと思いました。(ままい) ★おとうは、今日はつうの句を4句取りました。特選はねねと同じで「三毛猫の耳だけ見える秋の朝」です。家での句材だというのは分かったんだけど、実は他の句には特選にできる句がなかったので…。(おとう) ★そりゃあ厳しい…(笑)。(つう) ★でのこの句は良い句だよ。ねねもままいも言ったように、情景もしっかりと見えるし、季語も決まってるしね。「耳だけ見える」ところを切り取ったのが手柄だね。「参道の低空飛行のオニヤンマ」は、助詞の使い方に問題はあるけれど、情景を素直に、しっかりと切り取っているよね。「参道の低空飛行オニヤンマ」とか、「参道を低空飛行のオニヤンマ」なんてすればいいんじゃないかな。「秋の山木の根が岩にくい込んで」も同じで、きちんとした写生句だよね。「ガブガブと水飲む滝壺秋暑し」は、「ガブガブと水飲む」が面白いけれど、やや分かりづらいのかな。「ガブガブと水飲む」はもちろん「滝壺」の様子なんだけど、「滝壺」で作者が水を飲んでるみたいにもとれちゃうし…。「秋暑し滝壺ガブと水呑んで」なんてしたらどうかな。「秋の旅山と目線を合わせつつ」は、発想としては面白いんだけど、「目線」がどうも何か違和感かあるな(後ほど「広辞苑」を引いたところ「視線。もと、映画・演劇・テレビ界の語。」とあり、この違和感が解明されました)。「目線」じゃなくて「視線」だよね。あと、「つつ」っていうのは時間の経過があるので、「合わせけり」とか、その一瞬を切り取った方がいいだろうね。「すぎごけにきらりと光るるりとかげ」は、ねねも同じようなのを作ったけど、「瑠璃蜥蜴」自体がもう光り輝いているものだから、「キラリと光る」がいらなかったね。「参道の大の字で寝るアブラゼミ」は、ねねが言ったように、「大の字に寝る」は面白いけど、この句の場合はやっぱりちょっと違うかな。(おとう) ☆でも、ねねは死に際の蝉って、何か変にパワフルな感じもするんだよね。死んでるのかなって思って触ると、ジジっと羽根を動かしたりして…。(ねね) ★それはわかるけど、この句ではそれは伝わらないかな。「大の字に死ぬ」って言っちゃえば、大往生みたいなことは言えるけどね…。それとこれも助詞の使い方だけど、「参道の」は「参道に」だね。「蓮の葉の水滴ころがす父と姉」は、つうは「父と姉」が言いたかったんだろうけど、本当は見ているんじゃなくて、作者が「水滴」をころがした方が、俳句としては面白いんじゃないかな。「まちまちの階段登る秋はじめ」は、やっぱり分かりづらいかな。おとうも、ままいと同じように「それぞれの人がまちまちに」って取っちゃった。それなら「まちまちに」じゃないかなって…。確かにつうの言うように段差が「まちまち」の方が面白いから、それなら「登る」はいらないから「階段の段差まちまち秋はじめ」とか、「まちまちの段差の続く秋はじめ」とかすればいいのかな。「くつ脱ぐと親指見えてる秋の旅」は、おとうたちには靴下に穴があいちゃったって分かるけど、他の人には分かりづらいかな。裸足で靴を履いてたように取られちゃうよね。(おとう) ★「親指」に限定したところがいいと思ったんだけどね。(つう) ★うん、その焦点化は良いと思うよ。「くつ脱ぐと親指飛び出す秋の旅」なら、分かり易くなるかも…。「水はねる芝生を歩く秋の旅」は、「水はねる」が良く分かんなかったな。(おとう) ☆ねねはつうと一緒にいたから分かったんだけど…。(ねね) ★芝生に水がたまってて、歩くとビュンって水が跳ねたんだよ。(つう) ★それだと、字余りだけど「水はね上げて」なんだよね。「秋の旅」があるから「歩く」は削って、「秋の旅芝生の水をはね上げて」なんてのもいいんじゃないかな。(おとう) 次は「ねね」の句です。 ★つうは、「夏果つる一心不乱に川は落つ」を特選に取りました。吹割の滝の豪快な様子がいかにも「一心不乱に」っていう感じだったので、なるほどなと思いました。「羅漢像眺めて山門秋の風」は、「秋の風」の季語が良かったと思いました。中七の「眺めて山門」が八音なんだけど、それは余り気にはなりませんでした。「全身を覆う鐘の音空は秋」は、重い鐘の音がそこら中に響いている感じを「全身を覆う」って言ったのが上手いと思いました。(つう) ☆ままいは、その「全身を覆う鐘の音空は秋」が特選です。ねねとままいが本当に軽く鐘を撞いたのに、それがぐおんぐおんぐおんっていつまでも鳴っていた印象があって、それが上手く「全身を覆う鐘の音」って纏められていたと思います。「夏果つる一心不乱に川は落つ」はつうに言われちゃいましたが、やっぱり「一心不乱に」が上手いと思いました。「鬼やんま地を這うように前進す」は別に目新しさはないけれど、「鬼やんま」が力強くぐいぐいと飛ぶ様子がわりと出てるかなと思いました。「右から左へ秋蝉の声突き抜ける」は、秋の蝉を詠むのはなかなか難しいと思いますが、秋になっても突き抜けるように鳴いている様子が上手く伝えられているかなと思いました。(ままい) ★おとうは、今の「右から左へ秋蝉(しゅうせん)の声突き抜ける」を特選にとりました。(おとう) ★えっ、「しゅうせん」って読むんだ。(つう) ★うん、「あきぜみ」でもいいんだろうけど、「しゅうせん」の方が何となく感じがいいよね(これも後日「広辞苑」で確認すると、「あきぜみ」は「アブラゼミの異称。」とあり、「しゅうせん」は「秋鳴くせみ。秋の蝉。」とありました。因みに「俳句歳時記」(角川版)では「油蝉」は夏の「蝉」の項に含まれ、「しゅうせん」は「秋の蝉」の項に、「あきぜみ」はありませんでした)。まあ、上五は字余りなんだけど…。(おとう) ☆ねねも字余りは気になったんだけど…。(ねね) ☆ねねは字余りが嫌いだもんね(笑)。(ままい) ★字余りも、できればない方がいいんだろうけど、上五はリズムを崩すほどでなければそれほど気にはならないよね。でも、中七と下五はしっかりと定型にしないとなかなか上手くいかないけどね。だから、どうしても字余りになっちゃう時には上五にすればいいよね。(おとう) ★なんだ、そうなんだ。早く言っておいてよね(笑)。作り方が変わるじゃない…。(つう) ★やっぱり「右から左へ」が具象的でいいのかな。夏の頃は上から全体的に降ってくるように感じた蝉時雨も、秋に入るとちょっと感じが変わるよね。それが上手く表現されているんじゃないかな。欲を言えば「突き抜ける」がちょっと強すぎたかもしれないかな。「バックミラーの父の目四角く秋の旅」は、面白いところを句材にしたなと思いました。でも、「目が四角」っていうと、おとうが何かに怒ってるような感じで、楽しい「秋の旅」じゃあないよね。(おとう) ☆運転してる時の、おとうの結構険しい目を表現したつもりなんだけど(笑)…。(ねね) ★「夏果つる一心不乱に川は落つ」は、つうの言った通り。あとは形の問題なんだけど、「夏果つる」で切れて、「落つ」でも切れてるでしょう。できればこれを一カ所にした方がいいのね。二カ所で切れてるとリズムも良くないし、余情も薄くなる感じ。「夏果つる一心不乱に川落ちて」とかだったら特選でも良かったかな。「全身を覆う鐘の音空は秋」は、「秋の空」って言っちゃうと平凡な句になっちゃうんだけど、それを「空は秋」ってしたところがお手柄かな。「秋の空」っていうとそのままの実景描写で終わっちゃうんだけど、「空は秋」っていうと、そこに作者の意志というか思いが感じられるよね。「かなへびやすぎごけするりすりぬけて」は、つうと同じような句材なんだけれど、「するりと」と「すりぬけて」が重なってもったいないな。「するりと」だけでもわかっちゃう。だったら、もっと「かなへび」や「すぎごけ」のことが言えるよね。「羅漢像眺めて山門秋の風」は、材料が多すぎたのかな。思い切って「山門」をとっちゃうとか…。「鬼やんま地を這うように前進す」は、言いたいことは分かるんだけれど、「地を這う」だと力強さはあるかもしれないけど、「鬼やんま」のスピード感が出ないよね。「砂壁をなぞりて今日の宿は秋」は、宿の「砂壁をなぞ」るっていうのはなかなかいいと思うんだけど、「今日の」が良くないのかな。立秋をあらわす「今日の秋」ならわかるけど、「今日の宿」っていうのはね。(おとう) ☆最初は「砂壁をなぞりて旅の宿は秋」ってしたんだけど、「旅の宿」もねえ…。(ねね) ★「砂壁をなぞりて宿の秋はじめ」ぐらいでいいんじゃないかな。(おとう) 続いては「ままい」の句です。 ★つうは、「水引の左に右に遊歩道」を特選に取りました。つうも水引で句を作ろうと思ってて、「両側に」とか、「端に」とか考えていたんだけど、そのまま「左に右に」って言えばいいんだって思って、これを取りました。「眼下なる滝ごうごうといふばかり」は、この句もつうが作りたかった情景を詠んでいて、「眼下なる」っていうのがつうには出てこない言葉で、すごいなと思いました。でも、滝の句はねねの句の方が良かったです(笑)。(つう) ☆それはどうも(笑)。ねねは、「釈迦堂の如来の視線秋の寺」を特選にしました。これは、ねねも、釈迦堂に限ったことではなくて羅漢像の所でも感じたんだけど、意識して視線を感じようとしているわけじゃないんだけど、見てないのに見られてる感じがすごくしたので、その辺を上手く一句にまとめたなと思いました。「鐘一撞きぐおんぐおんと秋の昼」は、ねねの嫌いな(笑)、上五が字余りなんだけど、「ぐおんぐおん」っていう擬音が好きだったのと、その「ぐおんぐおん」が「秋の昼」とすごくマッチしていると思いました。あとはつうの特選の「水引の左に右に遊歩道」も取ろうかなっと思ったんだけど、水引のあっちこっちを向いてスッと伸びてるイメージと「左に右に」が重なってるような感じがして取りませんでした。「眼下なる滝ごうごうといふばかり」は、「ぐおんぐおん」に負けました(笑)。でも、この句も結構好きでした。「なだれ落つ吹割の滝時超えて」は「時超えて」がぶっ飛び過ぎた(笑)…。後はぼちぼちですかね(笑)…。(ねね) ★おとうは、「午後よりは時々日射す女郎花」を特選に取りました。今日のままいは、ねねが言ったぼちぼちまでもいってなかった感じだけど、その中ではこの句が季語の「女郎花」の感じが伝わって来るし、今日の様子を一番素直に、俳句らしく作ってるかなということで取りました。「山門の十六羅漢秋澄めり」は、吉祥寺の楼門の上にある十六羅漢のことだけど、一般的には、おやって思うかもしれないね。これなんか「吉祥寺」の前書きがあっても良いかもしれないね。それがわかると「秋澄めり」も効いて来るんじゃないかな。「釈迦堂の如来の視線秋の寺」は、この感じは良く分かるよね。「釈迦堂」とか「如来」という言葉があるから、「寺」が取れるともっといいよね。「鐘一撞きぐおんぐおんと秋の昼」は、ねねは気に入ったみたいだけど、「ぐおんぐおん」の擬音は当たり前じゃないかな。使うんだったらもっと独特なものを使わないと平凡になっちゃう。(おとう) ☆「ぱおんぱおん」とか(笑)…。(ねね) ★それはどうかな(笑)。それと「鐘一撞き」の字余りが気になるし、「一撞き」すれば「ぐおんぐおん」と響くから、そうすれば「ぐおんぐおん」自体がいらないのかもしれないね。「水引の左に右に遊歩道」は、この「左に右に」が作者の一番言いたいことなんだろうけど、これが曖昧だった。「水引」が「左に右に」つんつんと伸びて花を咲かせているのか、「水引」が「遊歩道」の両側にあるのか、あるいは「水引」の両側に「遊歩道」があるのか、どうとでも取れちゃう感じだよね。(おとう) ★そうか、つうは自分も一緒に行った所だから、そのままでも良く分かったけど、知らない人だと分からないかも…。(つう) ★「眼下なる滝ごうごうといふばかり」は、当たり前って言えば当たり前かな。「なだれ落つ吹割の滝時超えて」は、ねねの言うとおり「時超えて」は超えすぎちゃったかな(笑)。「回廊の続きし先に滝現るる」も、このままだとこの「滝」は「自然の滝」になるけれど、この「回廊」は吉祥寺のだと思うから、この「滝」もその庭園の「人工の滝」だよね。だからその分点数が低くなりました。でも、句の情景は面白いし、一般的な句としてみたら良い句なんじゃないかな。(おとう) 最後は「おとう」の句です。 ★つうは今日は辛口ではなくて、おとうの句を結構取ったんだけど、特選は「滝つ瀬はそこに秋風橋に満ち」です。つうも渡った時に橋にビューって風が吹いてたけど、それを「秋風橋に満ち」って言ったとこが上手いなと思いました。「残暑いま滝見ゆるまで階のぼる」は、二つ目に分かり易いのが来たのでついつい取っちゃいました(笑)…。「水煙を浴ぶる滝つ瀬晴れて秋」は、つうも滝の飛沫を何か詠みたかったんだけど、「水煙」ていう言葉があるんだって思って…。「楼門を潜る蜻蛉の道見えて」も、「蜻蛉の道見えて」っていう言い方が、鬼やんまのスーって飛んでる様子がよく分かって好きでした。「地蔵直立水引の紅八方に」は「地蔵直立」は良いんだけど、「八方に」が良く分かんなかった。「初秋の蜥蜴一歩目高く上げ」は「一歩目高く上げ」が良く分かんなくて、「滝壺に鯉の集まる寺の秋」は飛ばして…。(つう) ★何で飛ばすの(笑)。(おとう) ★だって、おとうの句にしては何か普通な感じがして…。いつもはなんかごちゃごちゃとやって、上手いって言わせるような言葉を使ったりするのに、こういうのは、つうとかねねとかが作るために取っといてくれないとね(笑)…。「思惟仏の右手ほつそりとして初秋」は、もう「思惟仏」が分からなかったからそれでおしまい(笑)。(つう) ☆ねねは、つうが良く分かんなかったという「初秋の蜥蜴一歩目高く上げ」を特選に取りました。「蜥蜴」が「一歩目を高く上げ」たっていう、その一瞬を切り取って、しかも細かいところに着目して句を作ったっていう所が凄いなと思って取りました。「楼門を潜る蜻蛉の道見えて」は、前にも同じ様な句をおとうから聞いたことがあったような気がしたんですが、でも、鬼やんまが門をスーッと通ったその余韻みたいなものを「道見えて」って表現したことによって、言ってはいないんだけど、一直線に力強く飛んでいった様子が分かるようで、この句を取りました。「思惟仏の右手ほつそりとして初秋」の「思惟仏」は実はねねも良くは分からなかったんだけど…。(ねね) ★でしょう。だからつうはもうそこで諦めちゃった(笑)…。(つう) ☆でも、「思惟」ってことは何か考え込んでるような感じで、弱々しくか細いイメージがして、それと「初秋」がぴったり合っていると思ったし、その弱々しさを「右手ほつそりとして」っていう具体的なもので表現してるのがいいなと思いました。「残暑いま滝見ゆるまで階のぼる」は、「残暑いま」の「いま」がよく分かりませんでした。「滝つ瀬はそこに秋風橋に満ち」は、さっきつうが言ったんで分かったけど、ねねはこの真ん中で別れる句が良く分かんなくて取れませんでした。「水煙を浴ぶる滝つ瀬晴れて秋」は、「晴れて秋」に何か作為的のものが感じられて取れませんでした。「地蔵直立水引の紅八方に」は、「地蔵直立」って当たり前じゃん(笑)、って思って取りませんでした。「滝壺に鯉の集まる寺の秋」は、つうと同じで、最近おとうはちょいちょい素直な句を挟むんで(笑)…、ということで取りませんでした。(ねね) ☆ままいは、「楼門を潜る蜻蛉の道見えて」を特選に取りました。「蜻蛉の道見えて」が上手いなあと思って取ったんですが、さっきねねが言ったように、前の吟行句会でも、「蝶」が「山門」を潜った句を出したなって思い出して、ちょっと残念にはなりましたが、でも、これもねねが言ったとおり、鬼やんまの鋭さが良く出てると思いました。「滝つ瀬はそこに秋風橋に満ち」は、これまたつうが言ったように、「風」が「橋に満ち」たっていう言い方が上手いなあと思いました。「地蔵直立水引の紅八方に」は、自分も水引の句を作ったので、「水引の紅八方に」は良く分かりました。でも、「地蔵直立」は私の中ではそんなにピッタリとは響いては来ませんでした。「初秋の蜥蜴一歩目高く上げ」は、何か読み過ぎかもしれないけど、作者の「してやったり感」が見えるようで、「一歩目高く」を見つけたぞっていうのが強く感じられて(笑)…。特選には取りませんでしたが観察の効いた言い句だなとは思いました。「滝壺に鯉の集まる寺の秋」は、みんなの言ったように素直な句で、そんなに面白くはないんだけど、みんなも見た情景で、ままいも作りたかった情景なので…。「水煙を浴ぶる滝つ瀬晴れて秋」は、下の句を「晴れて秋」ってしちゃったので、何か一杯言い過ぎてるなっていう感じがしました。でも何か全体として今日のおとうの句は良かったんじゃないかと思いました。(ままい) ★やっぱり、おとうの句にはもっと辛口の批評が欲しかったなあ(笑)…。(つう) 次回はどんな句会になりますのやら。 これからも気長にお付き合い下さい。 それでは、またお会いいたしましょう。 |
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(c)naomi sanuka |
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