2009/01/15

『子供の遊び歳時記』

                 榎本好宏

  
  連載のはじめに
                       榎本好宏  

 私には孫が四人いる。この子達の日常を見ていると、まず外で遊ばない。遊具はみんな出来合いで、自分達で(こしら)えない。いや拵えられないのかも知れない。遊ぶ仲間も全て同級生で、上級生や下級生などとの縦の繋がりがない、と日頃思っていた。
 そんな折、飯塚書店から『子供の遊び歳時記』を書いてみないか、との話が持ち込まれた。その晩、(ちな)みに子供の頃、どれほどの遊びがあったのか、目の前の原稿用紙に書き抜いてみると、百四、五十ほどになった。忘れている遊びも思い出せれば、優に二百はあろうと思うようになった。
 とは言え、古稀を過ぎた今、恐れていた健忘症が進行中である。加えて、遊びの後ろに潜む「遊びの文化」も知りたい性分だから、早速、神田神保町の古本屋巡りが始まった。
 さて、どんな『子供の遊び歳時記』になるか少々不安だが、ともかくも第一回の「(ばい)独楽(ごま)遊び」から始めることになった。
 

 第1回  路地を徘徊(はいかい)(ばい)独楽(ごま)


 子供の遊び、それも男遊びの中で、一番興奮したのが独楽かも知れない。この独楽には高い技術が要求され、博打(ばくち)性が伴うから、その愉悦さは、面子(めんこ)遊びと双璧(そうへき)である。中でも貝独楽のそれは、大人になった今でも、考えるだに興奮してくる。
 戦中から戦後にかけての少年期は、学校での時間以外は、この貝独楽に明け暮れた。誰もが一斗樽と護謨(ごむ)引きの布、それと布を樽にくくり付けるための縄を持って、路地から路地を徘徊した。仲間が一人でもいれば、貝独楽の土俵が作られた。
 誰でも貝独楽をやった人なら記憶があるだろうが、この独楽、相手の独楽の腰辺りに当たると威力を発揮する。だから、その威力を発揮させるため、努めて体高を低くするため表面を削った。材が鉛だから削りやすい。コンクリートの面でひたすら削り、表面に彫られた絵柄はたちどころに消える。
 少し手慣れてくると、これだけでは満足しなくなる。相手の独楽を弾き出す威力は、独楽に角を付けることでもあった。そのため、六角形の角を鋭利にするため、また、コンクリート面との格闘が始まる。仲間の一人に、町工場を経営する家の子がいたから、親父に見つからないように、昼休みの工員さんに頼んで、いくつかをグラインダーで削ってもらったりもした。
 こうなると貝独楽も刃物である。回っているこの危険な貝独楽を摑む術も子供達は心得ていた。回っている独楽は、摑む形で五本の指をシート面に叩き付け、弾んだところを摑めば掌は切れない。
 上級生の中には、(ろう)()状にしつらえた紙の容器の中に、溶かした鉛を注ぎ入れて私製の貝独楽を作る者もいたが、大体が不安定で、負け独楽となった。
この独楽をいつもズボンのポケット(私の疎開した群馬では、ポケットのことを「隠し」と言っていた)に入れるものだから、いつも底が抜け、母に叱られていた。また、勝ち戦の時は、家に持ち帰らず、寺や神社の回廊下の、蟻地獄の巣の一杯ある乾いた土の中に埋めた。
 さて貝独楽と、なぜ「貝」の字を充てるかだが、もともとは海蠃(ばい)という巻き貝の中に、(ろう)や鉛を注ぎ込んで作った「ばいごま」が語源。





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