2013/08/12 |
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第四十一回 子供達の囃子ことば |
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子供の頃は、知らず知らずに、随分と多くの囃子ことばを使ったものだ。そんな言葉の一片を時々思い出しながら、どんな時に使ったんだろうと思案したり、「そうだった!」と膝を打ったりすることもある。この稿では、そんな良き時代の囃子ことばに、ご唱和願いたい。 ただし、うろ覚えで済まないよう、脇に文献を置き、それを参考にさせてもらう。その文献とは、平凡社の東洋文庫の一冊で、大田才次郎編の『日本児童遊戯集』のことである。 私達が育ったのは、戦中、戦後だったので、「男女七歳にして席を同じうせず」が徹底していて、学校でも、男女が席を隣合わせに座るどころか、男組と女組に分かれていた時代もあった。従って通学も別々だったし、遊びなどは一時期、一緒になることはなかった。 仮に、男女が一緒に居ようものなら、たちどころに、周りから囃された。私の子供時代過ごした群馬では、こんな時、記憶違いか方言かも知れないが、「男と女のまんめんじ」と言った。「まんめんじ」は「混ざり合う」くらいの意だろうか。辞書の類には一切ない。 ここで文献君の登場になる。ここにはこんな風に書かれてある。「男と女とまァめいり、いってもいってもいりきれない」と。仮名書きだから断定しにくいが、「まァめいり」とは「豆 これも面白い言葉だから覚えているのだが、人様からもらった好意に謝意を表したり、その謝意を少し茶化して使う囃子ことばに、「ありがたいなら芋虫ァ鯨」がある。「ありがたい」の この囃子ことばには続きがあった。「ありが 大人になってからも使う囃子ことばに、「桃栗三年柿八年」というのがある。改めて書くことでもないが、苗木として植えてから実が生るまでの年数だから、苗木を買う時期などの参考になる。この言葉には続きがあって、「 よく、蜜柑などを掌にのせて、もてあそんだ言葉に、「蜜柑金柑酒の 仲間の中には必ず人の真似をしたがる奴がいた。こんな時、必ずつぶやいてぶつけるのが「人真似小真似」だった。真似をやめさせるには格好の言葉である。この続きもあるにはあるが、意味不明である。参考までに書くと、「酒屋の猫は、田楽焼くとて手を焼いた」となる。 意味不明といえば、こんな囃子ことばもあった。子供の側にはいつも虫がいて、例えば、 これは今でも口をついて出そうな言葉に、「根ッ切り葉ッ切り |
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(c)yoshihiro enomoto |
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