第22回 2010/06/15

  高濱虚子の100句を読む     坊城 俊樹




   行春の墓も御像も小さけれ      虚子 
                  大正二年

 前書きに「開山の像」とある。
 この句は鎌倉の東慶寺におけるもの。東慶寺は鎌倉尼五山の一つとして、あるいは円覚寺の塔頭として有名である。
 現在は観光のホットポイントであるらしく、若き女性たちが蟻の行列のように参詣してゆく。よほど、素敵なスポットか恋の何かに触発されるのか知らぬが、女性、特に若い女性にとって重要なる場所なのである。
 その開山の者とはむろん尼である。覚山尼と呼ばれ、北条時宗の正室であった。
 虚子曰く、大正の初め頃の当時でいえば新しき女で、女権を保護するために建てた寺であったという。
 「白洲」というものがあって、そこに保護されるべき女が通される。遠山の金さんに出てくるようなものだったらしい。女の事情などをよく聞き、村役人、住職や尼僧などによって保護されることもあったらしい。
 明治維新までは治外法権であって、そこに入ると外から草履を投げても女には届かなかったとも言われている。
 そして、希望すれば剃髪して尼になることもできたという。ゆえに、この寺のことを「縁切り寺」と呼ばれるようになる。
 
  開山に桃の献花や松ヶ岡  眉仙

 このような句も残っている。
 松ヶ岡とはそのあたりの地名のようである。そのために元の名を松ヶ岡寺とも呼称した。
 開山とは覚山尼その人をさす。
 その墓に小さく置かれている桃の献花の可憐な色。そこに佇んでいるうちに感興がおこって作られた写生の句である。
 この句にある「桃の花」という季題がまさに女たちがすくいを求めた聖なる尼にたいする感情そのものであったろう。
 開山の像は小さく、その墓も同様に小さい。これだけの長い年月を女性のために費やしてきた開山の尼僧の墓とはかくも小さく、可憐で、儚いものであった。
 後年のことであるが、何かすこし、去来の墓の小ささを諷詠した虚子の心に響くものと共通しているような気がしてならない。
 
 


(c)Toshiki  bouzyou
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