第54回 2011/3/8

  高濱虚子の100句を読む     坊城俊樹




   われの星燃えてをるなり星月夜     虚子
          昭和六年九月十七日
          丸之内倶楽部俳句会


 『五百句』所蔵。
 虚子の作風は、この時代にはすでにして客観写生への道を歩んでいる。しかし、すべての句がそのようなものではなく、時に微細に、時に大胆に、主観と客観を行き来したり、詩情あるものと物語めいたものとを混在させたりもしている。
 掲句は、この時代にしてはめずらしい天文の大パノラマを諷詠した秀句である。
 むろん、この「星」とは虚子自身のこと。
 星明かりばかりの満天の夜にひときわ輝く虚子の星がある。あたかも超新星の爆発直後のそれのようだ。
 
 ここには虚子の覚悟の火が見えている。
 「なり」という断定的な切れ字を云々するまでもなく、俳諧に君臨し、すべての花鳥風月を手に入れたいという決断宣言の句である。
 
 そして、この句の二十四年後にもまた同様の句が見られる。

  星一つ命燃えつつ流れけり    虚子
    昭和三十年九月十一日 草樹会、大仏殿

 虚子八十一歳の句。この句は、虚子の俳話を中心にした、最期の著作とともに収録されている。

 「伝統俳句」
「この小さい潔い天地に留る事を欲しないものは去れ。この伝統芸術を愛好するものは留れ。俳句の亡びる時を気にする人は、又人類の亡び、地球の亡びる時を気にする人であらう」
『虚子俳話』
 伝統俳句についての虚子の信念を語った小文。
 五七五という小さい天地を信じ、伝統を愛し、亡びることを疑わずに地球とともに俳句を諷詠せよと言っている。
 しかし、掲句の剛毅な「燃え」方とは異なり、すでにして俳句芸術のすべてを為しえた老人の「燃え」様はかように刹那的であって美しい。
 ただ一つ言えることは、この句は掲句よりはるかな流星の尾を輝かせながら、永遠の命を宇宙に残してゆくことで、その巨大さは桁違いであったろう。

 

(c)Toshiki  bouzyou

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