第55回 2011/3/15

  高濱虚子の100句を読む     坊城俊樹




   草萌の大地にゆるき地震かな     虚子


 平成二十三年三月十一日、午後二時四十六分、東北・三陸沖を震源とする、マグニチュード九.〇の「東日本大震災」がおこった。
 この巨大地震は世界でも有数なるもので、現在執筆時点(三月十四日)において死者数千人、行方不明者はそれ以上にのぼっている。
 おそらく万という人々の命が失う可能性があるという。今も、NHKラジオで宮城県の南三陸町の海で多数の遺体が流れ着いたと言っている。
 ここに、その哀悼の意を表する。そして関係者の心痛を思ってあまりあるものがある。
  
 俳句や俳人はこのようなときにまったく無力であるのだが、この歴史的な試練をこれから日本人が乗り越えてゆくためにも、このような文章、そして俳句を記さずにいられなくなった。
 
  しだらでん母と摘み置く菫さへ  俊樹

 この時に、仮にこれが弔句であったとしても、不謹慎のそしりをまぬがれない。それは承知であるが、この阿鼻叫喚の事象を諷詠せねばならない衝動にかられてしまった俳人としての宿命をお赦し願いたい。
 また、写生でありうるはずのない、このような句を作ることをお許し願いたい。

 「しだらでん」とは「振動雷電」から来た言葉。おもには台風のような状態を指すが、地震という言葉は、あまりに生々しくて使いたくなかった。

 掲句は虚子の句としてある資料から引いたが、作成年月やその詳細など不明。
 
 そのあまりにも牧歌的な諷詠に眉をひそめる向きもあろうが、俳句とは所詮このようなもの。
 しかし、この微細な風景にさえある美しい風土、あるいは日本の四季への賞賛が見える。そのゆるやかな大地を、未曾有の激震れや津波で破壊尽くした自然の猛威に今は憎悪しかない。
 神をも呪いたいが、これらの自然もまた宇宙の一部として諦めるしかないのだろう。そして、我々は、これからもそれらに目を背けることなく、粛々と唯々諷詠を続けるのみなのである。

合掌


(c)Toshiki  bouzyou

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