第73回 2011/7/26

  高濱虚子の100句を読む     坊城俊樹




   椿まづ揺れて見せたる春の風     虚子
        昭和十年四月二十日
        あふひ女史還暦祝。百花園

 本田あふひが筆者の縁戚にあることはすでに述べた。
 
  坊城家の祖先である、坊城俊政の娘。本名伊万子。
 「甥の島村元とともに高浜虚子に師事する。夫の貴族院議員本田親済と死別後、「ホトトギス」同人となり、婦人俳句会、武蔵野探勝会などを指導」  講談社 日本人名大辞典
 婦人俳句会などで頭角をあらわし、虚子にとっても大きな存在となる。
 「女史」と言うくらいだから、その性格は剛毅なところもあって、謡いなどの趣味も男勝りだったと聞いている。しかし艶があった。
 百花園は向島百花園のことであろうが、この本田あふひの還暦の祝いにかけつけた俳人たちはさぞかし春のあたたかな日差しを浴びたことだろう。
 
 この句は『五百句』にも所蔵され、深見けん二氏などもその中のベスト五には入ると仰っている。
 たしかに、「椿」の擬人化が絶妙であって、春の風との交感を見事に言い切る。それに加えて、あふひへの愛情、その艶やかな仕草への讃美もまた本人の姿と重なって行く技巧が見事な作品である。
 この日の句には、

  下枝に椿の花も春の風    虚子

 などもあるようだが、『句日記』などに入ってはおらず、この祝宴への贈答の句としては掲句がぬきんで出ていたと考えられる。
 蛇足だだが、この句は一見「椿」と「春風」という季題の季がさなりだ。と、ご指摘の向きには「春風」の句であると申しておきたい。
 「椿」は「春風」の大きな舞台に登場する役者ではあるものの、全体を諷詠する本意はあくまで春の滔滔たる風の風景である。
 ただ、少し気になるのはこの「椿」はあふひ本人を予感させ、贈答句であるからその役者が主役のようであることだ。
 主役なら俳句の題であると考えなくもない。
 つまり虚子は、この句に限っては主たる題である季語のこの二つはほぼ拮抗した存在にあることで他の句と峻別したかったのではないか。
 女史たるあふひの存在の大きさは、春の風よりあるとき大きく。あるいは、春の風に乗り移ってゆく絢爛さを言いたかったのではかなろうか。
 
 





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