第74回 2011/8/2

  高濱虚子の100句を読む     坊城俊樹




   魚鼈居る水を踏まえて水馬     虚子
        昭和十年七月十一日
        七宝会。井ノ頭公園茶店

 七宝会は大正十一年に設立された宝生流の能楽者たちの会。
 主立ったところでは、近藤ゐぬい、池内たかし、松本長、松本たかしなどが居た。ふだんは能楽堂などで行われたようだが、この日の句会は少し歩をのばした吟行句会であるらしい。

 日よけ巻いて涼しき日なり沼の茶屋    虚子
 同日の句にこれがあるが、ルポルタージュ的な付属の句であるばかりか、「日除け」「涼し」などの季節の言葉がうるさくて、なんともいただけない。
 たしかに今でも公園の西側にある御殿山のふもとあたりに一軒の茶屋がある。また、池を横切る七井橋のたもとにも売店と茶屋がある。
 はたしてどちらが当時からの存在かはわからぬが、今でも井の頭池をぐるりと廻りながら見るとこのような景色がある。
 魚鼈(ぎょべつ)とは魚とスッポンのこと。
 現代でも、ここで言う魚(おそらく鯉くらいしか居ないだろう)もスッポン(ただし大型の亀)もミズスマシも井の頭池には生息している。
 風景としてはあたりまえのようだが、魚鼈とくると水底に潜んでいるおどろおどろしい魚類と両生類の雰囲気が出ている。それらをミズスマシが足をふんばって押さえ込んでいる雰囲気もなかなか愉快。
 景色の方向としては、茶屋の奥に虚子らが居てそこで休息をとりながら池の汀、あるいは池の果てを遠望している。
 まことにのんびりとした景だ。
 が、宝生流の親子、とくに松本たかしが能楽を病気によって挫折したこと。あるいは池内たけしが「ホトトギス」発行所の仕事に暇をもてあましていたようなことを思うと、こんな好き日に壮年男子の俳人たちがのろのろと散策する姿は滑稽のような哀しいような雰囲気になってくる。
 本当に俳句は極楽の文学なのだろうか。
 むろん間違いなのだが・・・何か、極楽文学人のことを厭世的な世捨て人、あるいは引きこもり集団と勘違いしてしまうのは筆者だけでなのであろうか。


 


(c)Toshiki  bouzyou



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