第86回 2011/11/1

  高濱虚子の100句を読む     坊城俊樹



   龍の玉深く蔵すといふことを    虚子
        昭和十四年一月九日
        笹鳴会。丸ビル集会室

 名句である。
 森 澄雄氏もまたこれを虚子随一の句として評価した。
 笹鳴会の句ということは兼題の句であって、題詠のむずかしさはもとより、この題のむずかしさはほかの季題とはかけはなれている。それを見事に詠んだこの句は、虚子ばりの真骨頂の域に達していたと思われる。
 一説には、虚子庵の庭にこの龍の髯が存在し、それを見ながらかあるいは回想しながら作った句としている。それにしては、意味が深い。
 単に、写生句としての龍の玉の色合いを詠ったものではなかろう。たしかに、この紫には日本の平安時代からの紫の深さが宿っているが、そこにある和歌や詩の深さが湛えられていることを見逃すことはできない。
 森氏がこれを随一としたのにもわけがあるが、筆者としてはこの句をして俳句そのものを諷詠していると言いたい。
 「いふことを」の後ろにある部分がその部分である。
 陳腐だが、
 龍の玉深く蔵すといふことを、諷詠するのが俳句の道であって、日本の美意識の発露ではなかろうか。と、虚子は言っているようにみえる。
 この句においては、その色彩とともに髯の間に深く蔵されて隠されているという意味もある。そのほうが、写生としては確かな解釈かもしれない。しかし、その景色の底に蔵されている玉の日本色を諷詠したことが虚子のひとつの到達点ではなかろうか。
 この句に限り、龍の玉の本意やら本情やらを詠じているだけでなく、その玉に蔵している一切合切、森羅万象のことを詠じているのである。
 したがって、この句は季題というもののすべてに蔵された「深淵」をまで諷詠している点において名句なのである。
  





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