第92回 2011/12/20

  高濱虚子の100句を読む     坊城俊樹



   爛々と昼の星見え菌生え    虚子
        昭和二十二年十月十四日
        長野俳人別れの為に大挙し来る。
        小諸山廬

 虚子は昭和十九年九月から長野県小諸市へ疎開した。
 九月十日の、

  此頃はほぼ其頃の萩と月    虚子

 これが九月四日小諸到着後の初の句である。戦争は激烈をきわめつつ、帝都の東京はやがて焼け野原となって行く。
 また、そのころは俳人の森田愛子も福井は三国で療養生活を続けている。

  虹立ちて忽ち君の在る如し   虚子
  虹消えて忽ち君の無き如し

 有名なこれらは到着から一月後の十月二十日の句である。虚子は疎開をしつつ、三国にたびをしたり俳句の大会に出ていたが、このころの生活は虚子にとって落ち着いた円熟味のあるものだったようだ。
 ここまでの句は『六百句』に収録。掲句はその後、昭和三十年に刊行された『六百五十句』に掲載されたものである。
 この約三年間の虚子の疎開生活では、大家さんの小山家に残っている句屏風でみられるように虚子の最高の字で書かれたものとして、いかに心の平安が保たれていたかが伺える。
 
 それでも、昭和二十二年四月一日には愛子の死が訪れ、老人虚子はそろそろ晩年の節目となる俳句にさしかかっていたと思われる。
 しかし、この掲句なのである。
 これが、七十歳を過ぎた当時の老人の句であるとは誰も思わない。ある意味で虚子の代表句であるが、伝統派の俳人たちはこの句の謎を追うことを嫌う。
 句意もさんざん人たちが議論を繰り返してきた。昼の星とは宵の金星であるとか、井戸に映った金星とか、妄想的に現出した星など、さまざま。
 筆者としては、これは虚子の遊びだと思っている。
 肉眼では金星が暁以外で見えるはずはないとか、金星は小諸と限定せずに鎌倉の夕刻の回想とか諸説の理由ももっともであるが、なんとなく庭の菌を見ていたらそんな気がしたのであろう。
 昼の星を太陽としても天文学的には間違いではない。しかし、それはそれとしても太陽にもそんな気がしたのである。
 いわば、虚子としての集大成の写実の次に見えてくる、虚子の宇宙の片鱗なのである。
 
 



(c)Toshiki  bouzyou






前へ  次へ   今週の高濱虚子  HOME