第97回 2012/1/31

  高濱虚子の100句を読む     坊城俊樹



   我のみの菊日和とはゆめ思はじ    虚子
        昭和二十九年十一月三日
        宮中参内。文化勲章拝受。

 この年の文化勲章を虚子は拝受した。
 永年にわたる俳句文化への功労にたいしてであることはむろん、八十一歳の老大家は俳句のみならず様々な文化にたいしても大きな足跡を残した。
 子規、碧梧桐などいろいろな俳人に囲まれて、あるいは妻や父母や兄たち、子供や孫曾孫たちに囲まれての受賞であった。
 特に掲句は子規にたいする思いを強く感じる。
 「ゆめ思はじ」とは、虚子の率直なる心情であろう。
 昭和三十年一月号の「ホトトギス」消息に、次のような言葉がある。
 「諸君より御祝の言葉を受け恐縮仕りました。茲に御礼を申し上げておきます。
 私の出席する俳句界は一と纏めにして、一時間くらゐの短い時間に祝詞を受ける事に致しましたが、其後同人会、又、角川書店の催しで広く俳句界の有志の方の会を催して下さるとの事、仰山になることは不本意千万ですが折角の御厚意を否むべき由もなく了承致しました」
 これもまた、虚子の率直なる心情であろう。

  祝はるることも淋しや老の秋     虚子  十月二十五日 偶成。
  参りたる墓は黙して語らざる         十月二十五日 子規の墓に参る
  菊の日も暮れ方になり疲れけり        十一月三日

 これらの作品を見ても、虚子の心情が見えていてそれ以上の解説は不要である。
 
 祖母の高濱喜美子のマンションの仏壇のあたりに、この文化勲章が置いてあった。あるとき、了解を得てそれを箱から取り出してみたが、なかなか重い。菊の花弁と思われるところの白い塗りがなんとなくキッチュに思えたが、筆者がそれを首に掛けても意味の無いことであろうと早々に箱に戻した。
 まことに畏れ多いことだが、虚子の心情ももしかするとその感慨に似通っていたのかもしれないと思った。





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