第96回 2012/1/25

  高濱虚子の100句を読む     坊城俊樹



   虚子一人銀河と共に西へ行く    虚子
        昭和二十四年七月二十三日
        夜十二時、蚊帳を出て雨戸を開け、銀河の空に対す。

 これは存問の詩である。
 虚子の謂う存問とは銀河にたいする挨拶のことである。そして、それは同時に自然界にたいする挨拶でもある。和歌の世界では本来、相聞と謂い、より大きな自然界への存問であると言っていい。
 その存問には一瞬のうちに森羅万象、宇宙存在すべてが含まれている。
 「一念三千」という概念が天台宗の「真理」としてある。
 「一念」とは「日常の一瞬の心の中」、「三千」とは「三千世界」のこと。すなわち、その一瞬の心の中に森羅万象・宇宙存在のすべてが含まれているということになる。
 虚子はここにきてハタと思った。それまで比叡山延暦寺で見聞してきた天台宗のそれぞれの修行のことをである。
 それはすなわち自分が提唱してきた「主観」の世界のことではなかろうかと。そして、阿闍梨たちもまた、三千世界を目指して千日をかけて回峰する地獄の修行をするのではなかろうかと。
 「客観」も虚子が提唱してきた俳句の言葉。
 それを辞書で調べると、事物のありのままの姿とある。もっと謂えば、宇宙間のあらゆる事物の存在がそのまま真実の姿であることとなる。
 この「宇宙間のあらゆる事物の存在」とは、先の三千世界のことであろう。また、「真実の姿」こそ真理そのもののことではないか。
 つまり、虚子の謂う「主観」や「客観」はその表裏一体において同じものだと言えるのである。

  西方の浄土は銀河落つるところ  虚子

 このような主観の句は晩年に多く見られるが、それはすなわち虚子の客観の句の最終形態であったのかもしれない。

 





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