わかりやすい俳句添削教室
原 雅子 いしだ


第1回 2011/3/11  

 俳句の言葉はむずかしいという声をよく耳にします。
 さてそれは、俳句の短さによるものなのか、五七五の韻律なのか、もしくは季語が抱える問題なのでしょうか。
 俳句に限ったことではありませんが、言葉はしばしば暴走します。まして俳句という制約を受けながら、表現したい内容を、独りよがりに終わることなく読み手の共感を呼ぶような、どんな言葉として生かすことができるでしょう。作者と一緒に考えてみたいと思っています。

 


《原句》@

  人を待つひとときが好き日脚伸ぶ

 親しい友人か、もしかすると恋人を待っているのかも知れませんね。弾むような愉しい心持ちが「……が好き」という口語表現で素直に言いとめられています。
〈日脚伸ぶ〉の季語は、冬のなかに日一日と春の到来を感じさせるもので、気分としては似つかわしいのですが時間の経過を含む語ですね。上のフレーズに、やはり時間を表す「ひととき」がありますから障り合うようで少々気になります。近い言葉としては春隣がありますけれど、時候よりも具象的な下五を置くと句が引き緊まるかもしれません。句柄のやさしさを生かして植物などにすることも考えられますね。沈丁花やチューリップなど。豪華なバラや百合ではなく普通に見かける花のほうが親しみが出るでしょう。

《添削例》

  人を待つひとときが好き沈丁花

 作者の気持ちになるべく沿った添削でありたいと思っています。この句のように取り合わせの季語を選ぶ場合、殊にそう思います。添削例をあくまで参考として、自分で考えてみることを大事にしてほしいのです。

 


《原句》A

  大根に水の重さのありにけり

 みずみずしく、よく育った大根を手にしたときの主婦の実感! 昨今は男性も厨房に立ちますから、どなたの実感であってもよろしいのですけれどね――というのは冗談。問題はこの「ありにけり」です。〈ある〉という言葉は多くの場合、蛇足になりやすいものです。在ることを詠んでいるのですから。でももちろん、表現の上で意味を形成しない無の言葉が必要な場合はある筈です。それはよほど衝撃的、印象的な内容のときに限られるでしょう。例えば、

  身を裂いて咲く朝顔のありにけり   能村登四郎
  遠方とは馬のすべてでありにけり   阿部 完市

 いかがですか。無の言葉が深い余韻を生んでいます。先人のすぐれた句には脱帽のほかはありませんが、「大根」の句がまったく悪いわけではないのですよ。水の重さを感じた、そこで満足してしまわず、もう一歩突っ込んだ把握をしてほしいのです。例えば、

《添削例》

  大根に水の重さの張りつめし

としてみました。下五を「詰まりけり」「充つるなり」などとも思いましたが、この根菜の真っ白な充実感は「張りつめし」がいいかもしれませんね。あっ、充実感と言って気がつきましたけれど「充実す」とするのも一法でしょうか。

 


《原句》B

  いつか死は近しきものに冬霞

 ある程度の年齢にならないとこういう感懐は出てこないものでしょうね。齢を重ねて人生の山坂を経験し、身近な人の死を見送ったりもなさったことでしょう。ふと気がついてみれば、自分にとって死は恐ろしいだけのものではなく、人生の味わいを深めているのかもしれません。死が「近い」のではなく「近しい」というのはそういうことですね。
「は」の助詞ですと、この個人的な心情が客観的にひびいてしまわないでしょうか。格言的、つまり一般概念を述べるように感じられてしまうのです。たった一文字の違いですが、

《添削例T》

  いつか死を近しきものに冬霞

「を」に替えてみると、自分の身に引きつけた表現になるようです。
 さらに下五の〈冬霞〉。一句の感慨を支える大事な部分です。〈霞〉(春季)自体は景であると同時に心情を抱きこむ情趣のある季語ですが、冬霞になりますと、歳時記の例句などでも多く景色を描くほうに重心がかけられています。その意味では効果的な言葉です。
 作者はおそらく冬の霞に触発されて句を成されたのでしょう。寒さの感触が捨てがたかったかもしれません。ただ、作品の主題を生かすためには〈冬〉の語が際立ちすぎないか、という気がします。季節を移すことになりますが〈春霞〉〈昼霞〉などが考えられます。
 私が作るのであれば昼霞として茫洋とさせたいと思ったりしますが。

《添削例U》

  いつか死を近しきものに昼霞

 作者が現場主義でいきたいと思うか、普遍性に近づきたいと思うかで言葉の選択も違ってくるものです。どちらを選ぶにせよ、推敲の過程で、最初の感動だけは手放さずにいて下さい。

 

《原句》C

  都跡今一面の雪の下

 2010年に遷都1300年を迎えた奈良、平城京のことかと思います。近鉄奈良線で大阪方面から入ってくると、大和西大寺を過ぎたあたりから平地の広がりを眼にします。これが平城宮の跡といわれています。はるかな歴史の時間を閉じ込めたかのように、今この地は雪に覆われている。
 勢いのあるリズムで、一気に詠んだという即吟の趣きがあります。ここははっきりと、地名を入れるべきでしょう。場所を特定することで、その土地固有の性格が浮かび上がり、句の奥行きが増します。私の推測の通りでよければ、

《添削例T》

  平城宮跡今一面の雪の下

となります。ほんとうは字余りの八音にならないために「平城宮址」としたいところです。七音の字余りなら許容範囲ですから。でも、近年「址」は使われなくなっていますね。漢字の制限、常用漢字の規定の問題があったりするのでしょうか。仕方ありません。表示されている通り「平城宮跡」としておきましょう。
 もう一つ、「今」の表記ですが、字(づら)の点から言って、「いま」と平仮名にすると窮屈さがなくなりますね。

《添削例U》

  平城宮跡いま一面の雪の下

 表記には見た眼の与える印象も大切です。

 


《原句》D

  啓蟄や髭題目の伸びやかさ

 二十四節気という暦の上での区分があります。春夏秋冬の四季をさらに細かくわけたもので、立春や春分など、よく知られたものもありますが煩雑になるのでここでは詳しくは述べません。「啓蟄」も二十四節気の一つで、三月初旬の頃にあたります。〈蟄〉は蟄虫の意で、土の中にひそんでいるもろもろの虫のことです。この時期、地虫をはじめ蛇や蜥蜴、蛙などが冬眠から覚めて活動を始める、そういう季節を指す言葉です。
「髭題目」は日蓮宗で唱える題目〈南無妙法蓮華経〉の文字。よく眼にすることがありますね。先端が髭のように撥ねている特徴的な書体から、俗に「髭題目」と呼ばれるようです。
 時あたかも虫たちが蠢きはじめる啓蟄の候、お題目の文字まで動き出しそうな、という作者のウイット。なんだかむずむずしてきます。ユーモラスな作。とはいえ、ちょっと面白過ぎてしまうのは語呂が良すぎるせいでしょうか。名詞止めにした「伸びやかさ」を一工夫してみましょう。

《添削例》

  啓蟄や髭題目の伸びやかに

 そうそう、初めに〈啓蟄〉を時候を指す言葉とだけ言いましたけれど、この季節の虫そのものとして使っている例をあげておきます。

  啓蟄を(くわ)へて雀飛びにけり     川端 茅舎





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