新連載!

石田波郷の100句を読む
                
          (1) 2013/06/03




        石田郷子



  昼顔のほとりによべの渚あり  波郷

 石田波郷は、大正二年三月、愛媛県温泉郡垣生村、現・松山市西垣生の農家に生まれた。本名は哲大(てつお)。俳句を作り始めたのは中学四年生・十五歳の時で、同級生に勧められたのがきっかけだった。余談だが、この同級生は、のちの俳優・大友柳太朗である。
 哲大はすぐに俳句に夢中になり、学生同士で「木耳会」というのを結成してせっせと句作に励み、渋柿派の俳人・村上霽月主宰「今出吟社」の句会にも出入りするようになった。そこで知り合った人に、最初の師である五十﨑古郷を紹介されたのである。古郷は、「ホトトギス」に投句し、水原秋桜子に師事した俳人。哲大はこの頃から「波郷」と号したようである。
 古郷は、中学を卒業して農業を手伝うことになった波郷青年に、主観を押さえ写生を心がけるように促した。
 波郷は当時をこう振り返っている。〈花に止つた蝶の合せた羽が風が吹くと傾くのを何句にも写し取つた。夕方の空に必ず乙鳥が群がる個所があることを発見して句にした。木の枝の雨蛙が、けけけけと鳴出すときこきざみに身体をのりだすのを句にした〉「古郷忌」より
 おそらく夥しい数の句稿を波郷は見せていただろう。
しかし、古郷の子息・五十﨑朗さん宅で見せていただいた波郷の句稿に、師匠の古郷は、ほんの数句しか○をつけていない。

 さて、この昼顔の句は、波郷が十八歳の時、秋桜子主宰の「馬酔木」に入選した二句のうちの一句である。『波郷句自解―無用のことながら』(梁塵文庫)に自解があるので、そのまま引用する。
 〈何かやけに頭がもやもやして海へとび出した。よく晴れた夏の朝だつた。海の色と、島の色と、空の色と、だから水平線の雲の峰は実にあざやかだつた。影法師なんかこもつてゐない奴だつた。こいつをみたらもうすつかり朗らかになつて渚の逍遙をほしいまゝにした。凪のうしほはきよらかに、走せては消え、走せては消えする諸波はこれをふちどつて白い。照りつゞく砂浜のスロープ、そしてあさぎにかゞやく浜草帯の端にはあくまでも静かに明るい浜昼顔が咲きつゞいてゐる。このすべてかゞやかしいコントラスト(の美)の中に、ひるがほのほとりに白くかはいた淡い藻屑の一線がつゞいてゐるのはよべの渚ではないか。こいつが句にせずと居られるかと力んでの作だつたのですが。〉
潮の引いた痕のくっきりと見られる朝の渚を歩きながら、夜のうちに営まれた生命の営みに思いを馳せた。瑞々しい句である。叙情の句であり、「よべの渚あり」の断定は主観でもあるのだが、けっして感傷ではない。
ここには、日々写生に明け暮れていた作者の観察力が、やはり生かされているのだと思う。



(c)kyouko ishida
次へ  今週の1句  HOME