石田波郷の100句を読む《30》 2014/03/05




石田郷子





  あかあかと雛()ゆれども咳地獄   波郷

 昭和25年作。『春嵐』所収。
 前回の〈一樹なき〉の句と前後したが、こちらは長女・温子さんの雛の節句だろう。
 昭和26年に書かれた「早春」という随筆がある。退院して二年目、健康を回復しつつあった波郷が、所用で銀座に出かけた折のもので、一軒の喫茶店に入ると、ポケットから二冊の手帖を取り出し、回想に耽ったというものだ。
 それは療養所時代にしたためた句帖で、〈頁をめくつてゐると、早春の清瀬村の木々や径が、遠い故郷の山河のやうに私の頭に浮かんできた〉という。
  風荒れよ遺残空洞はとはの冬
  三月や遺残空洞胸に抱き
 二度の手術を受けたものの、レントゲン写真で肺の空洞が確認され、心は重かった。その心の闇をなまな表現で詠い、絶唱に近い形だが、翌日推敲して、
  緋桃菜の花遺残空洞胸に抱く
と直したという。雛祭に欠かせない桃や菜の花を取り合わせたことで、心の闇はいっそう深くなった。
  雛の家父わが帰る日は知れず
  つばくらめ父を忘れて吾子伸びよ
 清瀬の療養所の一室につばめが飛んで来た日、患者たちは燕がとどまって巣をかけてくれることを願ったが、燕は二度と病室には入ってこなかった。元気に天翔る燕に子どもたちの面影を重ねたのだろう。
  雪後来し子の柔髪のかなしさよ
 三度目の手術の前には、二人の子どもが訪ねてきた。その時の句を、春の銀座のとある喫茶店で読み返し、感慨に耽った波郷――。
 さて、冒頭の句は、その翌年、退院したばかりの自宅療養の時期に詠まれたもの。退院したとはいえ、ベッドにとどまっていなくてはならなかった。「咳地獄」の凄まじさに、緋毛氈の色がいっそう激しく燃え立ってくる。





(c)kyouko ishida

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