《34》 | 2014/04/15 |
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遠嶺の如死遠し厚朴の緑かげ 波郷 |
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昭和26年、東京八王子から神奈川に抜ける大垂水峠に、「馬酔木」の吟行で登った折の句である。それだけ体力が回復してきていた。 見晴台のベンチで、その感慨を〈遠嶺の如死遠し〉と詠み止めた。 〈観念独断で他に通じないとは思はなかつたが、後日「これはいゝぢやないかね」と水原先生にいつて戴くまでは多少の危惧は有したのであつた〉と、一文に波郷は書いている。それは「峠と谷」という随筆だが、病が癒えてくると、当然のことながらその当時のような作品は出来ない。癒えつつある安堵にありながら、表現者としては手放しで喜ぶことの出来ない複雑な心境を綴っているもので、〈私の俳句はどうなつてゆくのか私にはわからない。これは今度に限らずいつでもさうであつた。そしていつも私は何もしなかつた。そしていつも道はおのづからひらけてきた。然し再びひらけない時があるかもしれない〉とも書いている。 しかし、厚朴(朴)の若葉の木もれ日を受けながら、生かされている実感を噛みしめた波郷は、〈いつか斯うしてゐるうちにまた句がどんどん出来るようになると思つてゐる〉と言い切っている。 この句は、決してすぐれているといえないだろう。けれど、作者の心情が生々しく伝わってくるのは確かである。 秋櫻子の評価には頷ける。 |
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(c)kyouko ishida |
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