火の歳時記
片山由美子

 
   【火の路】第3回 NO3 平成20年1月29日
 これがその火である。ゆらめく炎が何やら神秘的に見えないだろうか。この火が象徴するように、ゾロアスター教はペルシャ帝国以来途絶えることなく伝えられてきた。
 その風習を守っている地域はほかにもあった。一つはササン朝ペルシャ(A.D.226〜651)以来の歴史をもつアブヤーネ村である。
女性たちの、花柄の伝統的な衣裳のことを日本人観光客は知っているが、イラン国内で尋ねても、この村がどこにあるのかさえ知らない人が多かった。我々が訪れたのは、真冬の雪がちらつく日だったせいもあるが、村には数えるほどの人しかいないように見えた。小学校は先生ひとりに生徒が10人足らず、それも半分はアフガン難民の子供とのことだった。道端で遊ぶ小さな子たちもいないわけではなかったが、それで村の子供は全員ではないかと思えてしまうくらい閑散としていた。観光客が来たというので、にわかに二三軒の土産物屋の戸が開いたが、中にはおばあさんが一人いるだけで、店と呼ぶより彼女たちの家の入口にすぎなかった。
 すっかりさびれた小さな村だが、歴史的には貴重である。16世紀までゾロアスター教を守っていたこの村には、今もなお当時の神殿だった建物が残っている。時間が止まってしまったような村で、さらに不思議なものを発見した。それは屋台の上に置かれた大きな籠のようなもので、聞けばゾロアスター教の神輿だという。何かの行事には今も使われているらしい。籠といっても木で作られた格子状のもので、全体は炎のようなかたちをしているのである。これは後で訪れたヤズドという古い都市の旧市街でも見かけた。どちらもちょっとした広場のようなところに置かれているのであった。屋台を思わせる台の上に乗っていると、まるで日本の山車のように見えてしまう。神輿の字が示すように、それが神に捧げられるものであることは言うまでもなく、日本と同じような風習がここでも見られることを興味深く思った。いや、ひょっとしたら日本の神輿もこのあたりから伝わってきたものかもしれない。イランへ調査に出かけた松本清張もこれを目にしただろうか。正倉院の宝物を見ても、ペルシャで創られたものが日本へ入ってきていたことは分かっている。宗教や儀式の様式も共にもたらされていたとしても、何の不思議も無い。

     寒の暮千年のちも火の色は 清水径子  
   
 
 (c)yumiko katayama
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