火の歳時記
片山由美子

 
   【火の路】 第6回 NO6 平成20年2月19日
  鳥葬はペルシャ(現在のイラン)、チベットのほか、インドの一部でも行われていた。ゾロアスター教の影響がが広範囲にわたっていたことを示しているといえよう。
 さて、651年、ササン朝ペルシャがイスラム勢力に敗れると、ゾロアスター教は迫害の対象となっていった。多くの信者がイスラム教への改宗を余儀なくされ、かろうじて信仰の保持は認められたものの、ムスリム(イスラム教徒)への布教を禁止されるなど、限られた集団の宗教として弱体化した。その中で、一部の信者はインドへ逃れた。そして、ムンバイ(かつてのボンベイ)において、コミュニティーを築くに到ったのである。彼らはパールシー(ペルシャ人の意)と呼ばれている。
 このパールシーには裕福な人々が多く、インド社会では特別な存在であるという。各界で活躍するすぐれた能力をもった人材もいて、指揮者として有名なズービン・メータもその一人である。現在もムンバイを中心にいくつかのゾロアスター教の寺院があり、ペルシャから持って行った聖火を守り続け、この火に祈りを捧げているという。
 これは現代のゾロアスター教の話になるが、じつは、ゾロアスター教の影響はもっと古くからインドに及んでいる。というのは、バラモン教の最高神であるヴァルナはゾロアスター教のアフラマズダと同一なのである。現代人の感覚では、民族や国家を狭く考えがちだが、歴史を考えるうえではもっと大きなとらえ方が必要となる。つまりインドとイランは同じ言語体系をもつアーリア人で、同じ民族なのである。その広い地域で同様の古い宗教が広まっていたとしても何ら不思議はない。
 シルクロードを考えれば、さらに多様な宗教や文化が混ざり合うのは当然のことである。仏教も初期は偶像崇拝が禁じられていたが、ガンダーラ(現在のパキスタン)で最初の仏像が造られるようになった。その釈迦像などはほとんどギリシャ彫刻のような顔立ちである。
仏教にゾロアスター教の影響があっても不思議ではない。先に述べたバラモン教のヴァルナ神は、仏教では何と「水天宮」になるのである。日本人にとってはお馴染みの水天宮が、歴史をたどっていくとアフラマズダに行きつくというのは何とも興味深いことではないだろうか。アフラマズダと水天宮は、火と水の全く逆のものを象徴するにもかかわらず、どこかで結びついているのはなぜか、そのあたりも探ってみたい。火と水にかかわる宗教儀式が現にある。
  古き世の火の色うごく野焼かな     飯田蛇笏
   
 
 (c)yumiko katayama
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