火の歳時記
片山由美子

 
   【火の路】 第8回 NO8 平成20年3月4日
 「お水取り」は奈良に春の到来を告げるといわれる。毎年、この行事が終らないことには暖かくならないのだという。
 お水取りは正式には「修二会」といい、仏教寺院で行われる法会のことである。本来は元日から三日間あるいは七日間にわたって国家の隆昌を祈ったもので「修正会」あるいは「修正月会」といい、七六八年から行われてきた。修二会は「修二月会」ともいうように、陰暦二月に行われた行事であるが、東大寺では新暦三月一日から十五日間にわたって行うようになり、ほかと区別して「東大寺修二会」という。前回述べたとおり、火が大きな役割を果たすことから行事そのものを「お松明」とも呼んでいる。
 三月一日の本行に入る前に、練行衆(修二会を行う十一人の僧侶)は戒壇院の庫裏(別火坊)で精進潔斎をする。このとき火打石で熾した特別の火以外は用いてはならないことになっているところから、この行を「別火」と呼ぶ。別火は「試別火」(ころべっか)と「総別火」(そうべっか)に分かれていて、五日間の「試別火」のあと「総別火」となる。「試別火」中は自坊に戻ることもできるが別の火を使うことは許されない。二月二十六日からは「総別火」となり、入浴をして紙衣を身につける。紙衣は行事の間着続けるのである。「総別火」の間は土の上に降りることが禁じられていて、別火坊の大広間に敷いた茣蓙の上以外には座ることも許されず、湯茶も勝手に飲んではならない。この坊には火の気は全くない。
 このあといよいよ本行の期間中には定められたさまざまなことが行われるが、以下「火」が使われる場面を中心に紹介しておきたい。行が始まる三月一日の午前一時、和上(十一人の練行衆の最上位の僧)による「授戒」が行われる。二時十五分ごろ、二月堂内の明りがすべて消され、堂童子が暗闇の中で火打石を切り火を作る。この火を「一徳火」といい、常灯の火種にする。
 前回触れた「達陀の行法」は三月十二日以降の三日間行われる。八人の練行衆が「達陀帽」と呼ばれる兜のようなものを被って道場を清めると、燃え盛る松明を持った「火天」が酒水器を持った「水天」とともに須弥壇の周りを回り、跳ねながら松明を礼堂に突き出す。最後に松明は床にたたきつけられる。
 東大寺修二会の別名にもなっている「お松明」は、火のついた松明を二月堂の舞台で振り回すことで、本来は練行衆が最初に廊を登るときの明りだった。童子が松明をかざして練行衆を堂内に送り込んだあと、舞台に出て火を振り回したのである。期間中連夜行われるが、十二日には大ぶりの籠松明が出る。この松明は長さ八メートル、重さ八十キロという巨大なものである。これを掲げて走るのはたいへんな技術がいる。お松明の火の粉を浴びると健康になるといわれており、周囲には大勢の参詣人が集まる。燃え残ったものは護符になるという。
 十三日の午前一時にはいよいよ「お水取り」が行われる。堂の南側の石段を下りたところにある若狭井の香水を汲むのだが、このとき蓮松明と呼ばれる松明をに照らされながら井へ向かうのである。若狭井の名のとおり、この井戸は若狭の遠敷(おにゅう)とつながっているといわれている。遠敷明神が神々の参集に遅れたことを詫びて二月堂の本尊に水を献じるのだといい、遠敷では毎年「お水送り」の儀式が行われる。
 この言い伝えからも分かるように、修二会の行事には神道がかかわっている。本行に入る前のお払いも神式のものである。
  飛ぶ如き走りの行もお水取     粟津松彩子
   
 
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