火の歳時記
片山由美子

 
   【火の路】 第9回 NO9 平成20年3月11日
    山焼のはじまる闇をよぎる鹿     津川たけを
  火の帯が火をつつみゆくお山焼    朝妻  力
 
 奈良の火の行事といえばもうひとつ、若草山の山焼きがある。一般の山焼きは早春に行われるのに対して、新年に行われるのが特徴である。現在は原則として成人の日の前日の日曜日となっていて、今年二〇〇八年も一月十三日に行なわれた。
 「お山焼」として親しまれているこの行事は十八世紀に始まったという。若草山の頂上には鶯塚古墳という前方後円墳があり、江戸時代にはウシ墓とも呼ばれていた。この墓からは幽霊が出るといわれ、そのあたりの草を一月(旧暦)ころまでに焼き払わないと悪いことが起きるという迷信が広まっていた。そのため、火をつけるひとが絶えず、東大寺にまで火が迫るという事件が何度もあったと伝えられている。奈良奉行所は放火禁止の札を立てたが効果はなく、新春に枯れ草を焼くことは祭礼化していった。古墳に眠る霊を鎮めるためといわれるように、供養の意味をもっていたのである。興福寺と東大寺、春日大社の領地争いが起源ともいわれるが、こちらは俗説のようである。「若草山」の名前そのものが山を焼くことに由来し、19世紀から使われている。山を焼いたあとは若草や芝美しくが生え揃うのである。
 「若草山の山焼」は明治以降完全に行事化され、明治十一年には二月二十三日に行われた。当時は昼間であり、夜の行事となったのは同三十三年二月十七日以来のことである。その後、戦前は二月十一日にとなり、昭和二十五年からは一月十五日(成人の日)に行われるようになった。平成十二年の祝日法改正にって成人の日が一月の第二月曜日に決まると、「お山焼」はその前日の日曜日に行われることになった。
 若草山について付け加えると、じつは何と古くは火山だった。かつては南斜面からそれを証明する鈴石と呼ばれる石が採取できたという。これは爆発のときに溶岩が砂や水を巻き込んでできるもので、振るとからから音がするそうである。
 山を焼くことの効果は古くから知られていた。前年に茂った木や枯草を焼くと草刈山ができる。害虫駆除にもなり、蕨や薇(ぜんまい)などが早く生えるという。地形や風向きを考慮して火を放つことになるが、その火はあっという間に広がり、若草山の場合、三〇分から一時間で焼き尽くしてしまうという。現在ではお山焼の前に花火が打ち上げられるなどイヴェント化しており、多くの見物客が訪れる奈良の風物詩となっている。
  草餅を焼く天平の色に焼く      有馬朗人
   
 
 (c)yumiko katayama

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