火の歳時記
片山由美子

 
   【火の路】 第10回 NO10 平成20年3月18日
 今回の連載に当たって、松本清張の『火の路』をあらためて読んでみた。文庫本上・下合わせて八百ページを超える長編だが、一言でいって面白い。電車の中で読んでいて、思わず乗り越してしまったこともあるくらいである。清張は大衆小説家とみなされかねないが、単に筋の面白さだけの小説を書こうとしたのではない。当初から、鴎外や西郷札など歴史的な事柄に興味を持っていたし、古代史への関心を深めてからは、小説というかたちを借りて、研究成果を発表しようとしたのではないだろうか。内外の多くの文献に当たっているとはいえ、類推による部分も多く、学説とは認められない。それを承知しているので、作中人物を借りて清張の自説を語らせているのである。主要人物は古代史の女性研究者と、かつて優秀な研究者であった謎の人物で、二人とも学会から見れば異端なのであるが、通説を覆すような仮説を立てる。ご愛嬌ともいえるのは、かつて研究者であったことも隠している謎の人物が、いまは俳句の宗匠である初老の男性というキャラクターに設定されていることである。これは心憎い。
 清張がゾロアスター教に興味をもったことが、そもそも日本史を語るうえで異端なのであるが、彼の説によって歴史を見直すならば、多くの不思議が解ける。ペルシャから日本へどのような道筋をたどってゾロアスター教が入ってきたのか、中国の文献などからそのあたりもすらりと解明して見せてくれる。それによれば、二世紀末から三世紀初めにイランからバクトリアへゾロアスター教が伝わったという。バクトリアというのは中央アジアに位置し、中国では大月氏国と呼んでいた。ここには南から仏教も伝わっていたはずで、両者は一体化して中国へ入った。中国では祆教(けんきょう)となるが、それを伝えたイラン人商人たちは幻人(眩人)と呼ばれた。その理由はあとで述べることにして、商業を重んじた中国では彼らを優遇し、居住地も与えていたという。そして、日本へ渡った人々の中に彼らがいたのはむしろ当然ではないかというのが清張の推理である。
 『火の路』が面白いのは、清張が実際にイランまで出かけ、さまざまなものを見ていることによる。それを主人公の女性研究者の体験として語らせているのだが、イランの風景や人々との交流など、懐かしいものを感じた。写真は私がイランを訪れたときに、女子学生たちと写したものである。
   
 
 (c)yumiko katayama

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