火の歳時記
片山由美子

 
   【火の路】 第11回 NO11 平成20年3月25日
 松本清張は、日本におけるゾロアスター教の影響をかなり広く考えていた。まずは謎の女性天皇である斉明天皇の名前について、それ自体が、光を祀るゾロアスター教にあやかっているのだと考えるが、さらには天照大神というのが、そもそもはゾロアスター教的な名前であるという。
 清張は、六、七世紀にはペルシア人が大和地方に来ていたのではないかと推測している。
仏教伝来は周知のように五三八年である。それと前後して、あるいは同時にゾロアスター教的要素がもたらされていたことは十分考えられる。記紀編纂はそれよりずっとあとのことで、朝廷に献上されたのは「古事記」が七一二年、「日本書紀」が七二〇年である。
 清張の説とは別に、伊邪那岐・伊邪那美伝説とギリシア神話のオルフェウスとエウリュディケの話の類似性については指摘がある。人間の考えることは同じようなものと片付けてしまえば簡単だが、ギリシア神話がかなり古い時期に日本にも伝わっていたとするほうがずっと自然に思える。黄泉の国から妻を連れ戻そうとして失敗する話はあちこちの国の神話にあるが、元は同一なのではないか。そうした話が日本へは西域経由で伝わり、「古事記」に取り入れられていたとしても何の不思議はない。
 小説の中身を語ってしまうのは気が引けるが、ストーリーの面白さとは別のところなので、もう少し清張先生に許してもらうことにして、ぜひこれは紹介しておきたい。大和三山といえば奈良盆地南部の耳成山、香具山、畝傍山の三つで、藤原京を取り囲むように位置していることは説明するまでもないだろう。「万葉集」の「香具山は畝傍を愛しと(雄々しと)耳成と相争ひき神代よりかくにあるらしいにしへもしかにあれこそうつせみもつまを争ふらしき」という中大兄皇子の長歌で親しまれている。清張によれば、三つの山の登場は歴史的にずれがあるという。耳成山の初出は「日本書紀」弁恭紀の、来朝した新羅人が常に京城の傍に見える耳成山と畝傍山を愛でたという一節とのこと。それに対して香具山のほうは記紀のもっと早い時期に何度も登場し、香具山は神の山としての意味をもつという。『火の路』の中の重要な巨石、益田岩船の役割は、それがどこを向いているかが決め手となる。そして、それが香具山を向いていること、その香具山は古くは火山であり、火の神として祀られるべき山であったこと、つまり益田岩船はゾロアスター教の拝火壇であったという仮説が導きだされるのである。
  国原や野火の走り火よもすがら    水原秋櫻子
   
 
 (c)yumiko katayama

前へ 次へ











戻る 
HOME