火の歳時記

NO21 平成2063


片山由美子

 
   【火の伝説】 第9回
 ヘラクレスとディアネイラが川にさしかかると、半人半馬のネッソスが渡守をしていた。ヘラクレスは新妻をネッソスに頼み、自身は歩いて渡ることにする。ところがこともあろうに、ネッソスはディアネイラに欲情を掻き立てられて犯そうとしたのである。怒ったヘラクレスはネッソスに矢を放った。射殺されはしなかったものの、瀕死のネッソスは血を流しながら岸にたどり着いた。そしてディアネイラに向かって、もしもヘラクレスの愛情がほかの女に移るようなことがあったら、この血を使うとよいと言って息絶える。それを信じたディアネイラは、ネッソスの大量の血を集めて持ち帰った。
 ふるさとトラキスで二人は穏やかに暮らしていたが、あるときヘラクレスはオイカリアを攻め、王女イオレを捕虜として連れ帰ることになった。トラキスが近づくと、ゼウスの祭壇を築いて犠牲を捧げるために、使いの者に式服を取りに行かせた。ディアネイラは夫の無事の帰還を喜ぶが、捕虜のなかに美しい女がいると聞いて嫉妬に狂う。ヘラクレスがその乙女を愛するようになったに違いないと思ったディアネイラは、例の血を使うときだと思いついた。そしてヘラクレスの式服にネッソスの血をたっぷり塗りこめて持たせてやったのである。そうとは知らずヘラクレスがそれを身につけると、血はたちまち毒となってじりじり肌を焼き始めた。苦しさのあまり服を引き剥がそうとすると、肉が布について剥がれていき、苦痛は広がるばかりだった。半ば不死の身である英雄ヘラクレスが死ぬに死ねないままトラキスへ運ばれてゆくと、ディアネイラは血がネッソスの呪であったことを知り、自分がしたことの恐ろしさを悟った。そして首を括って命を絶ってしまったのである。ヘラクレスはオイタという山の上に火葬のための薪を積み上げさせ、身を横たえるが、誰も火をつけることができないでいる。すると、そこを通りかかったピロクテテスが見るに見かねて火を放ってくれた。ようやく身を焼き尽くすことができると、ヘラクレスは礼として弓を与えた。じつはこの弓は、トロイア戦争の際、城の攻略に大いに力を発揮することになるのである。「ギリシア神話」の物語は終りそうで終らず、延々と続いてゆく。
 さて、火葬壇の火が燃え上がると天から黒雲が舞い下り、稲妻とともにゼウスが現れた。そして、ヘラクレスを天上に運び上げて行ったのである。ヘラの怒りはようやく解け、娘のヘベ(青春)を妻としてヘラクレスに与え、ヘラクレスは神の列に加えられることになった。火が重要な役割を担っている伝説である。


  骨壺のやうに抱きぬ火消壺       角谷昌子
   


 
 (c)yumiko katayama
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