火の歳時記

NO24 平成20624


片山由美子

 
   【火の伝説】 第12回
 さて、イザナミを死に至らしめたのは火の神の出産であった。その神の名を『古事記』では火之迦具土神(ヒノカグツチノカミ)という。火之夜藝速男神(ヒノヤギハヤオノカミ)、火之R毘古神(ヒノカガビコノカミ)の異称もあり、『日本書紀』では火産霊(ホノムスビ)、火神軻遇突智(ヒノカミカグツチ)ということになっている。
 ここではカグツチと呼んでおくが、哀れにもこの神は、イザナミの命を奪ったことを怒ったイザナキによって切り殺されてしまう。そしてそのとき飛び散った血から、何と八柱の神が生まれた。剣の先の血からは石折神(イワサクノカミ)、根折神(ネサクノカミ)、石筒之男神(イワツツノオノカミ)、の怪力を持った三神。剣の根元の血からは甕速日神(ミカハヤヒノカミ)、樋速日神(ヒハヤヒノカミ)の太陽を讃える神と、雷神である建御雷神(タケミカヅチノカミ)。剣の柄に滴った血からは水神である闇淤加美神(クラオカミノカミ)、闇御津羽神(クラミツハノカミ)がうまれたが、なかでも最もよく知られているのはタケミカヅチである。
 オオクニヌシが支配していた豊葦原中国に、アマテラスはアメノホヒとアメノカワヒコを遣わしたが、二人とも平定に失敗した。その結果、勇猛なタケミカヅチを遣わす。剣の象徴でもあり戦闘的なこの神は、見事に期待に応え豊葦原中国を平定してみせた。これは、高天原(大和)が、豊葦原中国(出雲国)を支配下におくまでの話を伝えたものと考えられている。
 切り殺されたカグツチからは、血だけではなく、刻まれた体の部分からもつぎつぎに神が生まれた。頭からは正鹿山津見神(マサカヤマツミノカミ)、胸からは淤縢山津見神(オドヤマツミノカミ)、腹からは奥山津見神(オクヤマツミノカミ)、性器からは闇山津見神(クラヤマツミノカミ)、左手からは志藝山津見神(シギヤマツミノカミ)、右手からは羽山津見神(ハヤマツミノカミ)、左足からは原山津見神(ハラヤマツミノカミ)、右足からは戸山津見神(トヤマツミノカミ)というように。気の毒なことにカグツチは活躍の場を与えられなかったが、死後に信仰の対象となった。火の神であるにもかかわらず、火伏せの神としていまもなお祀られている。これはよくあることだが、魂を鎮めることによって、暴れないようにしてもらうのである。カグツチを祀る中心は秋葉神社で、和銅二年(七〇九)に南アルプスの南端にある秋葉山の山頂に社殿が造営されたのに始まり、その後は浜松の秋葉山本宮以下、全国に千近くもの秋葉神社ができた。江戸時代には火事が頻発したため、秋葉参りが盛んだったという。お伊勢さんよりはるかに近い浜松は、江戸から遊山がてら出掛けるのに恰好のところだったようだ。先ごろの不幸な事件の現場となった東京の秋葉原という地名は、明治三年に秋葉神社を勧請したことに由来する。
 また、火災がなければ商売もうまくゆくというので、ヒノカグツチは商売繁盛の神になっているほか、窯の守り神として焼き物の産地でも祀られている。

  六月の竈火の奥見つめをり         飯島晴子
   


 
 (c)yumiko katayama
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