NO31 平成20年8月12日 片山由美子 |
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【火の歳時記】第4回 「迎火」 |
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東京では新暦の七月にお盆という家が多いが、私が生まれ育った千葉県ではほとんどが月遅れの八月である。旧暦で行うところもかなりあると思われるが、ほかには朔日から盆が始まるとしている地域もあるとのこと。京阪では七日からである。川端茅舎の〈金輪際わりこむ婆や迎鐘〉で知られる京都の珍皇寺の「六道参」が七日から十日までであるのもそのためである。七日に草市が立つというのが関東の人間には不思議に思われたが、それを知って納得した。また、盆の終りについてもばらつきがあり、二十日までであったり、二十四、五日までだったところもあるという。月末まで盆灯籠を灯しておく地域があるのは、盆をかなり長く考えていた表れである。 ともあれ、盆を迎えるにあたって、迎火を焚くという風習は全国共通のものである。もちろん、こまかな点の相違はある。一般には矧k(麻の皮をはいだ茎の部分)を焚くが、藁や麦稈、豆殼などを使うところもある。要は燃えやすいものなのであるが、東北地方などでは樺の木の皮を焚くため樺火という。 信濃路は白樺焚いて門火かな 大橋櫻坡子 という句があるところをみると、樺火を焚く地域は案外広いのかもしれない。迎火をどこで焚くかもそれぞれである。 門川にうつる門火を焚きにけり 安住 敦 この句などは、昔ながらの家屋敷のたたずまいをよく伝えている。地方へ行くとこのような家がよくあり、家の前の小さな流れに架けられた橋を渡って敷地内へ入るのである。外部から入るにはまず門川をわたることになり、祖霊もまた、そこから橋を渡って入ってくるので、門火は橋のところで焚くのである。 私の育ったところでは、墓地は集落のはずれや入相の山にあり、迎火もその近くまで行って焚くのがふつうだった。提灯を持って出かけ、矧k火を提灯にうつして祖霊を家まで連れてくるのである。子供のころ、その提灯について歩くと何となく神妙な気分になったものである。 迎火や風に折戸のひとり明く 蓼 太 風が吹く仏来給ふけはひあり 高浜虚子 などという句もあるように、目には見えないけれども、祖霊を迎えているという気持ちで盆の期間を過ごすのである。 田舎では盆棚をそれぞれの家に伝えられている方法で飾る。七夕飾りとどこか似ているのが不思議だが、東北地方の一部や新潟あたりで作られる「真菰馬」のように七夕と盆の両方の供え物となっている例もある。盆の魂棚に欠かせないのは鬼灯である。大きな赤い実はともし火を意味するのだという。昔の家の庭の片隅に必ず鬼灯が植えられていたのは、観賞用ではなく、盆に必要だったからである。 |
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(c)yumiko katayama | |||
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