火の歳時記

NO32 平成20819


片山由美子

 
  【火の歳時記】第5回  「花火」

 北京オリンピックも大詰めである。開会式のつぎからつぎへと繰り広げられるプログラムはハイテクを駆使して度肝を抜いたが、花火も派手だった。なんといっても打ち揚げの数がすごい。夜空を焦がさんばかりなどいう古い表現がぴったりだったが、ひとつひとつの美しさではなく数で驚かしていたような気がする。むかし、北京で国慶節の前夜祭に参加したことがあるが、そのときもやたらに花火が揚がって、雨のように灰が降ってきて閉口した。今回もすごいだろうなあと思いつつテレビを見ていた。
 先日、別のテレビ番組で花火を取り上げていたが、日本の花火のように手の込んだものは外国にはないらしい。外国の筒状の花火では、三百六十度どこから見ても完璧な全円に見えるということはないのだという。同心円に火薬を重ねてゆく大砲の弾のような丸い花火は日本独特の製造法であるとのことだった。
 さて、花火は夏の季語になっているが、もともとは盆の送り火と同じ意味をもっていたという。享保年間には大飢饉と疫病の流行によって江戸で多くの死者が出た。その霊をなぐさめるために将軍吉宗の命令で大がかりな施餓鬼が行われ、そのときに大川端で花火を揚げた。これが両国の花火の始まりであった。現在は観光化している各地の花火大会のうち、死者の供養のために盆に行うところは少なくない。私の出身地である千葉県の木更津市でも花火大会はむかしから8月15日である。11歳まで住んでいたのはそこからまた三、四十キロ離れた町だったが、家の近くの高台から木更津の花火がよく見えた。その遠花火が私にとって最初の花火の記憶として脳裡に刻まれているが、お盆でもあることが、遠くの花火を見るさみしさを募らせていたような気がする。千葉県のほかの地域でも灯籠会に花火を打ち揚げるところがある。
 前回は「迎火」のことを述べたが、盆の最後に焚くのは「送火」である。京都の大文字も送火のひとつで、花火もそれに通うものがある。
 ところで、花火はいつごろから行われるようになったのだろうか。当然、火薬が発明されてからのことで、中国で黒色火薬の狼煙を上げるようになったのが花火の始まりといわれている。これがイタリアへもたらされ、14世紀後半にフィレンツェで観賞用の花火が生み出されたという。ヨーロッパにはたちまち広がり、祭などの行事に欠かせないものとなっていった。その後大航海時代の始まりとともに海をわたり、花火はアジアへ逆輸入されてきたのである。
日本へは鎖国以前に持ち込まれていて、1613年にイギリス国王の使者が駿府城の家康を訪ねて花火を見せたのが最初といわれていた。だが、最近になって、それよりずっと前に伊達政宗が花火を見たと書かれている古文書が発見されたとのことである。いずれにせよ、当時のものは筒状で、現在のような花火が打ち揚げられるようになったのは十九世紀になってからのことである。 両国の花火はその後隅田川の川開きと結びついて納涼行事となった。だが、昭和三十六年を最後に交通渋滞や環境への配慮から中止となった。その後、各地の花火大会ブームに押されるように、昭和五十三年に再開されて現在に到っている。
    旅終る車窓に遠き花火見て     片山由美子
   

 
 (c)yumiko katayama
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