火の歳時記

NO33 平成20826


片山由美子

 
  【火の歳時記】第6回  「不知火」

 「不知火」は九州の八代海と有明海の沖に現われる怪火で、旧暦八月一日前後に見られるというので秋の季語になっている。風の弱い新月の夜に発生しやすいのである。
 「不知火」については、古くは『日本書紀』の「景行天皇記」に記述があり、天皇が船で熊本へ向かおうとしたとき、夜になり方角が分からなくなってしまった。すると、海上に火がゆらめくのが見え、それを目指して進んだところ岸にたどり着いたという。その火を「不知火」と呼ぶようになったのだが、名前の由来は、誰がともしたのかを尋ねたが誰も知らなかったからとも、何の火か地元の者に問いただしたとき、何か分からないと答えた土地の言葉を「しらぬひ」と聞いたからともいう。いずれにしても熊本を「火の国」と呼ぶのは「不知火」によるもので、「しらぬひ」は筑紫の枕詞にもなっている。
 「不知火」はどういう現象かというと、はじめに「親火」と呼ばれる火がひとつかふたつ見え、それが水平線に沿って数百から数千にも増えるのだという。距離にして四キロから八キロに及び、引潮が最大となる午前三時前後の二時間に見えることがもっとも多いという。むかしはこの火を竜神の灯火であるとして、これが見えたら付近の漁師は沖へ出ることを禁じられた。この海の底には竜宮城があるとの伝説もあった。おそらく、漁に出たまま帰ってこない漁師がいたからにちがいない。
 「不知火」の科学的解明がなされたのは大正時代のことで、これは蜃気楼の一種であることが分かった。この時期には日中の温度が一年のうちで最も高くなり、干潮時には水位が六メートルも下がって干潟ができやすくなる。そして夜は気温が下がるために急激な放射冷却が起き、干潟付近の魚を求めて出漁した船の灯が屈折して蜃気楼現象を起すのだという。
 今年の旧暦八月一日は八月三十一日である。果たして「不知火」を見られるかどうか楽しみなところだが、じつは近年見えにくくなっているらしい。空気や海水の汚染が進んだことや、海岸周辺の街の灯が増えて、深夜でも真っ暗にならないからだ。残念なことである。不知火を詠んだ作品から、せめて幻想的な光景を想像することにしたい。

  不知火や指す方にまた飛火生れ      岡部六弥太
  不知火を見てなほ暗き方へゆく      伊藤通明
  不知火の闇に鬼棲む匂ひあり       松本陽平


 ところで、大相撲の横綱の土俵入りには雲竜型と不知火型がある。不知火型はせり上がりのときに両腕を左右に開くのが特徴で、八代横綱の不知火諾右衛門が始めたものである。「不知火」の名は、いまも年寄名として引き継がれている。
 
   

 
 (c)yumiko katayama
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