火の歳時記

NO36 平成20916


片山由美子

 
  【火の歳時記】第7回「鹿島神宮御船祭」

 茨城県の鹿島神宮は、関東では古い歴史をもつ神社のひとつである。創建は紀元前六六〇年(神武天皇即位年)で、武神の武甕槌大神(たけみかずちのおおかみ)を祭神としている。このため鹿島神宮周辺は武芸が盛んで、剣術家の塚原卜伝を生んでいる。宝物館には国宝の「直刀」(金銅黒漆塗平文拵、附刀唐櫃)ほか、名刀が収められている。境内の鹿園には奈良春日大社から譲り受けた鹿が放されており、Jリーグの鹿島アントラーズの名は鹿の枝角(antler)から取られたものである。
 鹿島神宮では十二年に一度、大祭「鹿島神宮御船祭」が行われる。神宮皇后が三韓を攻めた折、鹿島の神が御船を守護したともいわれるが、今から一七〇〇年ほど前の応神天皇の時代に祭典化されたという説が有力である。しかし、あまりに大がかりな祭であることから室町時代の初期に絶えてしまった。その後、明治三年に再興されるまで五〇〇年もの空白があったのだが、その間、境内の楼門前に船の代わりのお舟木三艘を供え、一同が鬨の声をあげるというささやかな祭礼を行ってきた。
 復活した「御船祭」は十二年に一度の午年斎行として行われ、最近では二〇〇〇年がそれにあたった。かつては旧暦七月七日、十日、十一日だったが、現在は九月一日から三日間にわたって行われている。その概要は、一日午前に式年大祭が斎行され、夕刻、神霊が神輿に乗って行宮に渡る。翌朝、二千名に供奉された神霊が二キロ離れた北浦海岸の大船津に到着。龍頭で飾った「御座船」に神輿を運び、九〇隻あまりの船を従えて千葉県の佐原までの十一キロの水上を渡ってゆく。佐原には香取神宮があり、ここに迎えられるのである。そしてまた行宮まで帰る。本殿に還幸するのは三日の午後という多くの船と人間を動員する文字通りの大祭である。
 さて、この大祭に火が登場するのは一日の夜である。神霊が行宮に渡る際、その道筋を提灯で照らすもので、提灯をぶら下げた青竹を氏子が持ち寄るところから「提灯祭」とも呼ばれている。これを楼門前の大篝火に投げ入れて燃やし祭を盛り上げるのである。
 ちなみに旅立ちのことを「鹿島立ち」というのは、この地から防人が旅立ったことに由来するといわれるが、鹿島神宮では国の隆昌を願うこととし、大祭がその節目の神事であるととらえている。

 


   

 
 (c)yumiko katayama
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