火の歳時記

NO41 平成201028


片山由美子

 
  【火の歳時記】第8回 「鞍馬の火祭」

 十月二十二日に行われる鞍馬の由岐神社の例祭で、太秦の牛祭、今宮神社のやすらい祭と並ぶ京都の三奇祭の一つ。この祭が行われるようになったのは平安時代中期のことである。そのころ、平将門の乱や大地震など、動乱や天変地異が相次いだため、朱雀天皇の詔により、御所に祭っていた由岐明神を北方の鞍馬に遷宮することで、北の鎮めとした。九四〇(天慶三)年のことである。その際、松明、神道具などを携えた行列は十町(約一キロ)に及ぶ壮大なものだった。それを目の当たりにした鞍馬の人々が、由岐明神の霊験と儀式を後世に残そうと伝えてきたのがこの祭である。
 午後六時、各戸に篝火が点され祭は始まる。最初に「とっくり松明」を手にした幼児が街道を歩き、続いて小学生、中学生、高校生と、それぞれ小型から中型の松明を携えて加わる。そのあとに大松明を担いだ若者が登場するのだ。一行は「サイレヤ、サイリョウ」と掛け声をかけながら練り歩く。午後八時ころには鞍馬寺の山門の石段の下に百数十本の松明が集まり、合図とともに焼き上げられる。昼と紛うばかりの明るさと熱気の中、若者たちがいっせいに石段を駆け上る。神輿を迎えに行くためだが、これが何ともエネルギッシュである。神輿の前で御祓いの儀式が行われたあと、神輿が石段を下ってくるが、一気に降りないよう、女性たちが先導の綱を引くのが慣わしである。神輿の担い捧には二人の若者が逆さ大の字にぶらさがり、石段を下る。これも見せ場のひとつである。最後に神輿はお旅所に戻り、午前零時過ぎに祭は終る。
 この祭の男たちの正装束は、黒の締込に下がりをつけ、船頭籠手に向こう鉢巻、黒い脚絆に黒足袋、武者草鞋、背中には魔除けの南天の小枝を挿すというあらゆるものから力を授かろうといういでたちとなっている。また、松明にする柴は、五、六月から祭の役員が洛北の山で刈り取って神社に保存しておいたものである。松明は小松明といっても重さ三十キロ、中松明は六十キロほどになるので、これはもう担がなければ運ぶことはできない。大松明になると、長さ四メートル、直径は太いところで一メートル、重さ百キロにおよぶ。大人でも二三人がかりで担ぐことになる。これに火をつけるのであるから、なんとも勇壮な光景である。「鞍馬祭」「火祭」といえばこの祭のことで、火が主役の、京都の秋の一大イヴェントである。


  火祭の戸毎ぞ荒らぶ火に仕ふ    橋本多佳子
  火祭りの炎粘つて来たりけり    井上弘美
  力水飲み火祭の先導に       板谷芳浄
  火祭の火屑を川に掃き落とす    太田穂酔
  火祭の終の火屑の夥し       中岡毅雄
   

 
 (c)yumiko katayama
前へ 次へ 今週の火の歳時記 HOME