NO48 平成20年12月16日 片山由美子 |
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【火の歳時記】第13回 「春日若宮御祭」 |
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十二月十五~十七日に奈良の春日大社の摂社若宮神社では、大きな祭を行う。起源は神社が創建された翌年の保延二(一一三六)年にまで遡ると。当時、洪水飢饉が全国的に広がっていたことから、その鎮静を祈って藤原忠通が創始したのである。しかし、この祭を実際に仕切ったのは神社ではなく、興福寺であったところに時代の勢力関係がうかがえる。 若宮の出現は小さな蛇だったことになっており、蛇は水の神の象徴で、若宮は水の神である。この若宮のご神体を仮御殿のお旅所へ移すにあたって、大松明を曳いて大地を清めながら移すというのが興味深い。 古い祭であるだけにさまざまな興味深い神事が執り行われるのだが、十五日の大宿所祭もユニークなものである。願主人と呼ばれる祭を仕切る人物が参籠して精進潔斎するのだ。何百羽もの雉や兎を収めたのだが、これを掛けるといったところから「懸鳥」(掛鳥)という。茨木和生氏がこの掛鳥のことを十二月号の「運河」の〈師系の一句〉に書いているので紹介したい。 日をたがへ懸鳥をまた見そびれし 右城暮石 解説の中で江戸時代の歳時記『年浪草』に「掛鳥」の立項があり、「春日祭のとき、鳥獣を贄にす。之を掛鳥と謂ふ。雉二百五十六羽、兎百三十四、狸百四十二匹。此も保延二年之を始む」と記されているというのが興味深い。現在は鮭や鯛に替っているらしいが、関西の人たちには親しみ深いのであろう。つぎのような句もある。 懸鳥の杉あをあをとおん祭 中御門あや 「おん祭」だけでもこの祭のことになる。 さて、この祭の特徴のひとつは、芸能と強く結びついていることである。いまでもお旅所では猿楽が奉納されるが、もとは田楽が奉納されていた。これが十八日の「後日(ごにち)の能」と呼ばれるものである。本格的な野外能で周囲には篝火が焚かれ、これが薪能に結びついたという節もあり、興味深い。 |
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ところで、芭蕉もこの祭を見ている。元禄二年十一月のことである。(当時は十二月ではなく十一月二十七日だった。)前書に「南都にまかりしに大仏造栄(営)のはるけき事をおもひて」の前書のあと 初雪やいつ大仏の柱立(はしらだて) 芭蕉(親蹟懐紙) この当時、奈良の大仏は露座仏だったのであった。 |
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(c)yumiko katayama | |||
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