火の歳時記

NO49 平成201223


片山由美子

 
  【火の歳時記】第14回 「火事」

 先にマッチの話をしたが、マッチの登場する詩歌で最もよく知られているのは寺山修司の歌かもしれない。
  マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや

 寺山らしい演出が露わな一首だが、マッチが小道具として生きている。
 喫煙者は別として、生活の中のマッチはほとんど存在が忘れられつつあるのではないだろうか。「マッチ一本火事の元」などという標語は昔懐かしいものとなった。夜番の「火の用心」という声とともに、遠い記憶を呼び覚ますものになりそうだ。しかし、季語の世界では「火の番」もまだ健在である。「寒柝(かんたく)」「夜番の柝(き)」などとともに、俳句ではいまもお馴染みである。
 
  寒柝のつぎの一打の遥かなる       黛  執
  寒柝の終の一打は湖へ打つ        大石悦子
  星々を消さず過ぎゆく夜番の柝      友岡子郷

 
 「火の番」が季語になっているのは、冬場は火事が起きやすいことによる。暖房器具からの出火だけでなく、繁華街の火事は昨今も多い。空気が乾燥していて、ほかの季節より火事は多いのである。火事を詠んだ俳句に味わい深いものが多いのは、生活に密着しているからだろうか。
 
  寄生木やしづかに移る火事の雲     水原秋櫻子
  火事とほし妻がしづかに寝がへりぬ    安住 敦
  白鳥のごときダンサー火事を見て    百合山羽公
  暗黒や関東平野に火事一つ        金子兜太
  火事を見し昂り妻に子に隠す       福永耕二
  火事後の間取りくきやかにて雨よ     櫂未知子
  火事見舞あかつき近く絶えにけり     西島麦南

 
 なかでも百合山羽公の一句は異色である。いかにも現代の都会を感じさせて、ドラマがある。繁華街のどこかで出火したというので、あたりの店からつぎつぎに人が飛び出してきた様子がわかる。ステージで踊っていたダンサーも、衣裳の上に何も羽織らず飛び出してきたらしい。「白鳥のごとき」がその姿を余すところなく描いている。派手な化粧のままであることも忘れて心配そうに見守っているのだが、そんな場にあって人目を引くのが哀れである。火事というと真っ先に思い出す句だ。
 福永耕二の句も、人間心理を伝えている。野次馬根性といってしまっては身も蓋もないが、燃え上がる炎はひとを興奮させる。それをあるまじきことと思いつつ、家路に着いた。もちろん、火事を見たことなど家族には話してないのだが、昂りを抑えきれずにいる。火事というものの一面を鋭くとらえている句ではないだろうか。
 
 今年の「火の歳時記」は今回が最後です。新年は一月十三日からスタートします。

    
   

 
 (c)yumiko katayama
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