火の歳時記

NO52 平成21127


片山由美子

 
  【火の歳時記】 第17回 八百屋

 今回も江戸の火事の話である。西鶴が『好色五人女』を書き、人形浄瑠璃、歌舞伎にもなったことで知られる八百屋お七。放火の罪で火あぶりになった娘である。
 本郷の八百屋八兵衛(異説に本郷森川宿の八百屋市左衛門、本郷追分の八百屋太郎兵衛)にはお七という娘がいた。年は十六。西鶴はその美しさを「花は上野の盛り、月は隅田川のかげきよく、かゝる美女のあるべきものか、都鳥其業平に時代ちがひにて見せぬ事の口惜し」と讃えた。
 さて、江戸に火事はつきものである。天和二年十二月二十八日、暮も押し詰まってからの大火事があった。火の手が迫るなか、お七は母親とともに旦那寺の吉祥寺(振袖火事で焼ける以前の寺)へ非難した。一説では近くの別の寺だともいわれ、以下、話の内容、人物など諸説が伝わっているのだが、ここでは『好色五人女』に従っておく。
 避難所となった吉祥寺には焼け出された人などが身を寄せていた。そのなかに見た目の卑しからざる若衆がいて、指に刺した小さなとげを抜こうと苦労していた。夕方のことでもあり、難渋しているのを見かねたお七の母親が手を貸そうとするが、老眼ゆえに思うにまかせない。そこでお七が代わって抜いてやることになった。ようやく抜き終わると、若衆はお七の手を握りしめた。お七はその手をほどきたくはなかったが、母親の手前そうもいかず、毛抜きを手渡すのを忘れたふりをして、若衆のあとを追って行った。再び手を握り合い、二人はたちまち恋に落ちてしまった。若衆は小野川吉三郎といい、浪人とはいえ先祖の血筋は正しい人物とのこと。恋文を交し合う二人は恋い焦がれつつ年を越した。
 そして正月十五日の晩のこと、急な弔いで新発意以外の僧は出払ってしまった。折からの雷に怯えて女たちは小部屋で身を潜めて眠っているのを見計らい、お七は吉三郎のもとへ行けるのは今夜しかないと決意する。台所を抜け、広い寺のなかでようやく吉三郎の寝所を探し当て、ためらう相手を促し思いを遂げたのである。明け方、娘を探しまわった母親はことの次第を知った。
 自宅に帰ったお七は軟禁状態となるが、下女を通じて吉三郎と文の遣り取りを続け、恋心を募らせるばかりだった。そこへ今度は吉三郎が忍んでくるなど危うい逢瀬を果たすのだが、思い詰めたお七は、火事騒ぎが起きればまた二人は会えるはずと、何と火を放ったのである。その煙のなかにいたお七は放火の廉でつかまり、神田の崩れ橋から四谷、芝、浅草橋、日本橋と引廻されたのであった。果は鈴の森(鈴が森)の刑場で火刑に処せられることになったが、覚悟のうえと怯む素振りも見せず、煙になっていったという。
 『好色五人女』ではこのあと、吉三郎が命を絶とうとするのを周囲から止められて出家する話が続くのだが、流布した話のひとつでは、お七は放火したのち、恐ろしさのあまり自ら半鐘を鳴らしたという。詮議の折にもそれに免じて命を助けようという計らいがあったともいわれている。しかも当時、十五歳以下の場合は罰を減じる規定があり、奉行がお七に年は十五かと尋ねたのだが、十六だときっぱり答え、奉行の配慮を拒絶したという。恋に命をかけたのだった。


  性格が八百屋お七でシクラメン     京極杞陽


   

 
 (c)yumiko katayama
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