火の歳時記

NO53 平成2123


片山由美子

 
  【火の話】 第6回 安珍清姫

 紀州道成寺の縁起に由来する安珍清姫の物語は、説話として平安時代の『大日本国法華験記』(『法華験記』)、『今昔物語』に登場する。能や人形浄瑠璃、歌舞伎でも「道成寺もの」として親しまれており、火が大きな役割を果たす話となっている。
 安珍は奥州白河の僧で、熊野権現へ参詣にやってきた。その途中、牟婁郡真砂の庄司清次の家に宿を借りることにした。その家には娘(清姫)がいて、美形の安珍に一目惚れしてしまう。夜になって清姫は安珍に迫るが、修行中の身であるからと拒絶された。それでも清姫があきらめないので、安珍は参詣の帰りに必ず立ち寄ることを約束した。ところが安珍は現れなかったのである。怒った清姫は安珍の後を追い、上野の里で追いついた。安珍は別人だといって逃れようとしたため、清姫は逆上したのであった。安珍は熊野権現に助けを求め、清姫が金縛りにあっている隙に逃げ出した。日高川までやって来て急いで船に乗り込んだところへ清姫が追いつく。清姫も船で追いかけようとするが船頭は船を出してく
れない。すると何と、蛇に変身して川を渡り始めた。必死の安珍は道成寺に逃げ込み、釣鐘を下してもらうとその中へ隠れた。それでも許さない清姫は、鐘に蛇身を絡ませると火を吐いて中の安珍を焼き殺してしまったのである。この様子を描いた土佐光重の「道成寺縁起絵巻」は凄みがある。
 恨みを果たした清姫は、蛇の姿のまま入水して命を断った。そのあと、寺の住持は二人が蛇道に転生した夢を見たため、法華経供養を営むと二人が天人となって現れ、熊野権現と観音菩薩だったことを明かす、という話である。
 こうして鐘を失ったといわれる道成寺では、安珍清姫の話から四百年ほど経った正平十四年(一三五九)に鐘を再興することになった。その完成を祝って女人禁制の鐘供養を行おうとしたところ、一人の白拍子(清姫の怨霊)が現れて妨害した。白拍子は蛇に身を変えると鐘を引きずりおろし、その中へ消えてしまったのである。驚いた僧たちは必死で経を上げ、ようやく鐘を鐘楼に戻すことができた。だが、この鐘は音が悪く、あたりに災害や疫病が続いたので、山中に捨てられてしまった。
 それから二百年がたち、秀吉の根来征伐が行われた際、家臣の仙石権兵衛が山中で鐘を発見。合戦の合図に使ったあと、京都へ持ち帰って供養をし、顕本法華宗総本山の妙満寺に納められたという。
   

 
 (c)yumiko katayama
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